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DEATH NOTEから考える私刑

アニメで考える社会問題
本日は「DEATH NOTE(デスノート)」を通して私刑について考えていきましょう。

「DEATH NOTE」は作品を知らなくてもあの黒いノートを見たことはあるかと思います。
主人公の「夜神月(やがみらいと)」がある日 、死神から名前を書くとその人が死ぬノートを手に入れ、それを用いて犯罪者を処刑し、自分を中心とした世界を構築するために、警察やライバルの「L(える)」と知能戦を繰り広げる作品となっています。

原作も有名ですが、藤原竜也主演の実写版も有名ですよね。
おそらく、そこからDEATH NOTEを知ったという方も多いと思います。

この作品のキーとなるのはやはり「デスノート」でしょう。
顔さえ分かっていれば名前を書くだけでその人を心臓麻痺で殺すことができる。
また、詳しく書けばその通りの死因で殺すこともできる。
非常に使い勝手の良いノートです。

デスノートはそもそも死神の所有物であり、現実には本来存在しないものなので、警察も全く想定しておりませんでした。
そのため、夜神月も最初は巧みに警察の目をごまかしておりましたが、徐々に徐々に追い詰められ….。
まぁ、こんなこと言っておきながら実はDEATH NOTEのアニメ見たことないんですよねw
またちゃんと見る時間作ります….

では、本題に移りましょう。
デスノートの特性上誰が殺したかは一見ではわからないため、警察に簡単に足を掴まれることはありません。
しかし、誰かの命を簡単に奪うことができる。
これって、「私刑」と感じが似てませんか?

私刑」とは、法律によず、個人や集団がは犯罪者などに勝手に加える制裁であり、もっと簡単な言葉を使うと「リンチ」です。
私刑は一見ネット時代になってから、炎上した人間への誹謗中傷等が始まりのようにも感じますが、私刑的な風習はもっと昔からあったとされています。
例えば江戸時代の村八分。
罪を犯した人間をコミュニティから追放し、交流を断つ行為が平然と行われていました。
また、敵討ちや切捨御免も私刑ではありますが、幕府からも認められていました。
こう考えると、私刑の歴史は長いですね。
前述した通り、現代の私刑はネットリンチや誹謗中傷が主になっています。
私刑を行う主体も個よりも集団になります。
もちろん、私刑は現代では違法であり、私刑自体が犯罪として罰せられます。
また、集団による誹謗中傷はその対象の精神を必要以上に疲弊させる可能性が高く、最悪の場合、命を捨てる選択を迫らせる原因になります。
それに関しては、実例を挙げる必要もありませんね。

もちろん私刑は法で禁じられれている以上、行うことは許されませんし、犯罪等は各国に定められている法律によって裁かれるべきであるのは事実です。
しかし、私はモラルの逸脱を防ぐための抑止力としての私刑は必要だと考えます。
犯罪にならないモラルの逸脱は、もちろん法で裁くことはできません。
警察等の介入も期待することができない場合、それを抑止するための力は必要だと思います。
ネットの「炎上」もその一例であり、適度な批判は次のモラル逸脱を防ぐ手段になります。
もちろん、過度な批判は誹謗中傷になってしまい、それは法律によって裁かれてしまうのでいけませんが。
そこはしっかり批判と誹謗中傷の線引きを明確にし、自身が裁かれてしまう立場にならないように注意が必要です。

今回はここまで。
次回もよろしくお願いします。


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