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『退部のお知らせ』から53日間、わたしに起きた4つのこと

2021年4月25日。JTサンダーズ広島の紅白戦インスタライブが始まって、1分が経とうとした頃。ウォームアップ中の深津旭弘選手は、カメラに向かってこう言った。

「ラストがんばりまーす」

ん?いま「ラスト」って言った?

でもきっと「今シーズンのラスト」を指した言葉だろう、5月の黒鷲旗も中止になってしまったから。そう思っていたし、思いたかった。得点を決めた後に胴上げされるまでは。

1 | わたし、心がフリーズする

4月26日。JT広島の退団選手が発表された。
そこには深津選手の名前があった。私が一番応援している選手だ。

知った時は思いのほか冷静で、気が動転することも、うろたえることもなく、涙も出なかった。ただ「そうですか」と素直に受け入れられない。パソコンが情報を処理しきれずフリーズするように、頭も心もフリーズしたような...そんな心地だった。

気になったのは、深津選手に関して「今後については未定」と書かれている所。『未定』の2文字から、移籍、指導者、社業ではないセカンドキャリア…いろんな可能性が頭に浮かぶ。

とは言っても、現時点では「来季はJTの選手ではないこと」「移籍希望リストに名前があること」だけが事実。行間を読んでもどうしようもないと思い、そっとスマホを閉じた。

2 | わたし、優しさに助けられる

仕事を終えて帰路、電車の中でTwitterを開く。

『退団のお知らせ』に対する驚きや哀しみのツイートの合間に、自分の名前をぽつぽつと見つけた。フォロワーさんがエアリプで気にかけて下さっていると知り、思わず涙が出そうになる。

リプライやDMでも「同じ気持ちです…」「無理せずゆっくり過ごしてください!」とお気遣い頂き、お邪魔したClubhouseでも「心配してました…」とお声かけ頂いた。一介の厄介なファンを心配してくださったフォロワーさんたちには、感謝してもしきれない。

応援するチームが異なっても、ファンだからこそわかり合える心情がある。この日、身をもって実感した。誰かが悲しんでいるその時は、今日頂いた優しさを還元できる人間でありたい。そう思いながら布団に入った。

3 | わたし、待つ

2日後、4月28日。中国新聞に深津選手の記事が掲載された。見出しを見てすぐ「スッキリと、心残りなく決断できますように」と願った。

ひとりのファンとしては「これからもプレーを見れる可能性がある!」と希望を持ちつつ、「このまま引退してしまう可能性もあるのか…」と不安がよぎった。進退の判明は5月31日以降となると「これまでの感謝を伝えるタイミングは、所属先のわかる今しかない」と気づいた。

ただこれは完全にファン側ののエゴであって、迷惑かもしれない。それでも今は5月31日がタイムリミット、書くしかない。けれど今送られても困るだろうに。そうだけど、でも、だけど…と、堂々巡りを経たあと、最後は渡辺えりさんのコラムに背中を押され、封筒と便箋を買いに行った。

4月30日。この日から黒鷲旗(全日本男女選抜バレーボール大会)が始まるはずだった。中止を悔やんでも悔やみきれない。

5月8日。インスタグラムでライブ配信されたJT広島のオンラインファン感謝デー。退団する選手たちのユニホーム姿を、挨拶を、胴上げを、しっかりと目に焼き付けた。

5月17日。フォロワーさんから「月バレ最新号をぜひ読んでほしい」とご連絡をいただいた。引退・退団選手の特集が組まれた2021年6月号、深津選手の直筆コメントを読んだ私は、思いがけず心打たれた。

その後は仕事の繁忙期に拍車がかかり、あっという間に時間が過ぎていく。

Vリーグ公式サイトの『移籍希望選手リスト』をほぼ毎日確認しながら、気づけば在籍最終日の5月31日を迎え、静かに6月1日になった。

JT広島の公式サイトにアクセスすると、退団選手のプロフィールや写真はきれいさっぱり見当たらない。けれどまだ、緑のユニホームを着てどこからか出てくるんじゃないかと思ってしまう。半信半疑のまま、6月は始まった。

4 | わたし、勇気をもらう

6月に入り数日経っても、『移籍希望選手リスト』には名前がある。これで引退の線は消えたのかな…と思いつつも、リストに名前がある限り油断ならない。

日々のリストチェックも板につき始めた6月18日、嬉しいお知らせは突然やってきた。

黄色いユニホーム姿の深津選手を目にした時、「これからも深津選手のプレーを見るチャンスがあるんだ!」とわかって、本当に、本当に、本当に良かったなと…、ほっと胸をなでおろした。同時に嬉しさが一気にこみ上げて、気づけば左こぶしを力いっぱい握り締めていた。

フォロワーさんからも「良かったね!」「早く見てと思ってました!」とお声掛け頂き、夢じゃないと実感する。やっと、頭と心のフリーズ状態から解放された気がした。

余計なお世話だと承知の上で、この決断はとても難しかったんじゃないかと思う。母体は大企業のチーム、慣れ親しんだ土地・環境、家族のこと、年齢、この先のキャリア、考えようにも迫る期限。もしも私が深津選手の立場だったら、引退して社業に専念する”安定した道”を選ぶだろう。

だからこそ、移籍する”挑戦の道”を選んだ深津選手の勇気と覚悟に心動かされた。そしてより一層心をこめて応援したいと、さらなる活躍を願いたいと思った。

それから4日後の6月21日。田中夕子さんによる深津選手の記事が公開された。私が引用して何かを書くよりも、ぜひご一読頂きたい。

記事を読んだ私はなぜか、せめて姿勢だけでも「深津選手に負けたくない!」と思った。思考回路はショート寸前どころか支離滅裂、正直自分でも何言ってるかよくわからない。ただ「私も(何か)挑戦したい!」と思ったのは確かだ。

そして勝手ながら、"あること"に挑戦しながら応援するシーズンにしようと決心した。深津選手の挑戦と比べると、私の挑戦は米粒のようにささやかなものだけれど…。

それから

2021/2022シーズンが始まり、2ヶ月が経つ。さらに熱くハツラツと、そして楽しそうにプレーする姿を見ては、私もがんばろうと勇気をもらっている。

これからも、アグレッシブに挑戦し続ける深津選手を、感謝の気持ちを忘れずに応援していきたい。

終わりに

【#バレーを語るアドベントカレンダー】の14日目として、この記事を書かせて頂きました。拙い文章の自分語りになってしまいましたが、今年の春を振り返る良い機会となりました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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