帚木
自分自身のこんなところが(口に出すことはない)魅力だったりするんだろう。と考えていた癖があった。それについて、それがどれほど無責任であるか 忌々しくもあると源氏物語の帚木(ははきぎ)に記されていた 痛い
年が明けて2024になり受け取った現像済みネガ、SNSに載せたくないから、スキャナーがあるのにわざわざデータをCD化してもらい、PC上でのみ映りを確認した。
いい写真だなと思ったものは、写っている本人にだけ送った。
2024年の初現像になるモノクロフィルムをさっき部屋で落とした記憶を引っ張ってきている。部屋で落としたなら後で拾うだけなので良いが、歯科医院に出かけるタイミングでコートの右ポケット500円玉ほどの穴が空いている にふと入れて穴から雪の積もる道に落ちた可能性もある。
ときどき行わないといけないストレス解消の儀式で、(神奈川県の片田舎にある陸橋に夜走っていくところを想像して)泣いてから家を後にし気分も晴れやかなのに、ACROS100IIの紛失がマジだったら涙も出ない 年始の思い出がー😭
私個人の日記・写真の蓄積が19歳以前はきわめて少なく、振り返って当時の思考の揺らぎに馳せられる何かがないことが虚しくて虚しくて虚しく ただこの頃フィルムに向けられていた熱のような習慣が、すこし本に向いている気がする。たいてい購入理由は映画で目にした読んだことのない著作だから/幸田文 執筆された当時の作家の歳が今の私と同い年だから/カポーティ 大好きな映画を作った人の詩集だから/コクトー 友だちが、友だち自身の生き様を簡潔に言い表しているがゆえにSNSに載せたのだろうなと思わせる一節を含む短編集だから/ボードレール
ひとつひとつの所有物が私の手元に来るまでのきっかけを挙げるとキリがないが 今に至るまでに撮ったものを一冊に纏めてみたくて、並べるのが写真だけだったとしても今の自分にはあまりにも、何かが(何かが)破片のようにまだ散らばっている状態で たぶん足りないのは本かなと思ったり、足りないのではなくて余剰なものを削ぐために本が必要かもと気持ちがうつらうつら
人と会って話した後、この監督/作家だったらどの作品を観て/読んでどれが最も好きか(私の周りで起こるこのような会話、質問が調査を意味していないのは穏やかな生活である印!)などと話し、こう答えたけれど本当はもっと言えるべきことがあった。
と考えるのは常で
一年以上通った歯医者も次週でやっと一旦通院が終わり。インドカレー屋で初めてバターチキンカレーの甘口ではなく中辛を注文 胡椒で辛さを増すやり方か….とやや悔いるも、サービスでチャイラテをもらってAll OKになる
南国風の植物の向こうに見える殴りつけるような雪 このお店は老若男女にドリンクをサービスしていると見受けられる
時折来る客たちの微笑
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