東日本大震災10年

「10年」という、ひとつの言葉で、ひとかたまりのように扱うものが、そこにあるのではない。言葉にできない感情と現実を前に、生きてくるしかなかった一日一日、一時一時が続いてきたのだ。そして、間もなくそれが断ち切られるということも、おそらく期待はできない。
 
遠くから傍観者がお祭りにのっかるようなことはしたくない。私はしょせん天の邪鬼な呟きしかできない。当事者のお気持ちをただただ尊重するばかりだ。
 
震災が過去の出来事で単にアルバムに載せられたものとして眺めるようでありたくない。確かにかつてあったことだが、現在進行形であり、未来形でもあるというふうにだけは、心に刻みたい。刻み続けておくつもりである。それは、阪神淡路大震災についても、他の災害についても、大きく変わることがないだろう。

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