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インマヌエル預言

イザヤ7:10-17 
 
時の南ユダ国の王はアハズでした。紀元前8世紀後半のことです。アッシリア帝国寄りの政策をとりました。弱小イスラエル民族は、絶えず周辺に勃興する大帝国の顔色を窺うような政策をとらねばなりません。しかしそれらの帝国や王国が争っていたら、どうしましょう。どちらにつくのが得策でしょうか。生き残る道はどちらなのか、決断が必要です。
 
アハズがアッシリア帝国に近づいたということは、アッシリアの神々を容認することにもつながります。日本も、アメリカに占領されその文化を受け容れたときに、一時的にキリスト教ブームが起こりました。このようなアハズは、信仰の立場からすると「悪しき王」のレッテルを貼られることになります。イザヤからの評定は厳しいものがあります。
 
若くして王位に就き、さほど長く統治したわけではないようです。イザヤは、エルサレムをこの異教の神々から守らなければならない、と奮い立ちます。周辺にあったアラムと、こともあろうか北イスラエル王国が手を結んだと知って、アハズはユダ王国の危機を感じます。人々の心は「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」(2)のでした。
 
しかし預言者イザヤは、その企みは実現しない、と安心のメッセージを放ちます。むしろ北イスラエル王国は間もなく滅亡するのだ、と言います。このとき主自らアハズに臨んで、「主にしるしを求めよ」と迫ります。アハズはそれを「主を試すようなこと」だと言って応じません。殊勝な信仰のようですが、イザヤはこれを責めました。
 
否、神は確かにしるしを与えるのだ、と告げて、「インマヌエル」と名づけられる男の子が、そのしるしとして生まれることを宣言します。この新たな王の下で、二つの敵は退けられるというのです。アハズの子としてヒゼキヤがやがて生まれ、ユダを立て直すことをイザヤは見越していた、というのが主旨ですが、キリスト教徒は別の意味を読み取ります。
 
そう、このインマヌエルなる子の誕生は、イエスが生まれたことを意味する、と理解しました。イザヤ自身は、そんな解釈など思いもよらなかったことでしょう。しかし、イザヤが元々言った預言も、果たして何を意図していたのか、ということを言い当てるのは簡単ではありません。けれども神は、何か大切なことを伝えようとしていたはずです。
 
神が事を起こすために確かな証拠を与えることがありますが、それを「しるし」と呼んでよいかと思います。ここではそれは、「おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」ことでした。アハズの信仰がどうだから、というのではありません。神は共におられる、という意味の名です。ひたすらそれを証言する人物が与えられるのです。

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