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ヨベルの年

レビ25:8-12 
 
ヨベルの年の説明が始まりました。安息年は、安息日のように、七年目毎に迎えるものでした。さらにその七倍という完全数を繰り返した周期で、ヨベルの年と称される特殊な年を迎えるというのです。雄羊の角笛を意味する語「ヨベル」は、いわばアラートでした。それを聞くと、イスラエルに大きな出来事が始まるのです。
 
何もかもがチャラになるという、徳政令の極致のような制度が、本当にできたのか、と問う人もいますが、それはまた別の次元の話だとしましょう。7の2乗の49年の、さらに翌年の50年目がそれだ、と読む人もいますし、49年のときがそれだ、と読むこともできるようです。前者だと、50年、100年という区切りでヨベルの年を考えることができます。
 
そのとき、2年間の空白がくることになりますが、それはきついような気がします。これは現実上、大問題とならないでしょうか。定説は、と調べましたが、なかなか人はこれを説明したがらないようで、やっと見つけても、どちらかはっきりした考えが提供されていないように見えました。それとも、現実にそんなのはなかったというのでしょうか。
 
よく見ると「あなたは安息年を七回、つまり、七年の七倍を数えなさい。七回の安息年の期間は四十九年である」(8)とした上で、「五十年目の年を聖別し、その地のすべての住民に解放を宣言しなさい。それはあなたがたのためのヨベルの年である」(10)となっています。この訳だと、49年たったその年が50年目と同一であるように読めます。
 
安息年の翌年がヨベルの年である、というようには読めないのです。そのためここでは、49年周期でヨベルの年が訪れるという理解で進めます。これできれいに7の倍数でリズムを刻むことができます。数え方はこれで措くとして、規定によるとこれは大変な年となります。徳政令が定期的に出されることが決まっているというのです。
 
ヨベルの年が近いと、間もなく帳消しとなり、奴隷状態から解放されます。それを見越して、契約を有利に結ぼうとするのが当然です。その件は次に検討しますが、要は、この年に自分の所有の地に必ず戻ることができるという点が注目点です。同胞の奴隷制度はなかったはずなのに、あるように見えます。この、人の解放がヨベルの年の本質なのでしょう。

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