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「人間は自分がいるところが曇ると、 一部分ではなく、全体が曇ったと信じてしまう」

人間は自分がいるところが曇ると、
一部分ではなく、全体が曇ったと信じてしまう。

   ─ 幸田 露伴 ─ (小説家)

「20世紀の名言」からの引用です。


否定するところがない言葉だなと思った。

一部を全部と捉えてしまうこと、多いなと思う。特にうまくいかない時。


進めているプロジェクトに課題が見つかると、それだけ解決したらいいのに、「根本から見直さないといけない」とドツボにハマってしまうことがある。(毎回ではないけど、気分的なものなのか、タイミング的なものなのか、ただ不器用なだけなのか、そういう考えになることがある。)

誰かと仲良くなれたと思っても、ちょっとしたコミュニケーションのずれが発生して相手の反応が思ってたのと違うと、「仲良くなれたと思ったのは思い込みだったのかもしれない」「実は今までは無理に合わせてくれてただけで、疲れが出てきたのかな」と、ネガティブ一直線に走ってしまうことがある。(残念ながら、これはよくある。)

自分の担当の仕事をこつこつ進めていって、1つずつ順調に完成させてきてるけど、ちょっとつまづいただけで、「やっぱり自分は仕事ができない」「これで上司からの評価が一気に悪くなる」と、自信喪失する。(これもよくある。)


0か100かで物事を考えるタイプで、かつネガティブな人の考え方ということかな。

逆に、同じく0か100かで判断するけど、ポジティブな人だったら、1つうまくいったら、全部できたと思えるのかもしれない。その中にも、心の底では不安材料が見え隠れするけど、「うまくいくんだ」と自分を鼓舞しているタイプもいるだろうし、全体を見通せずに「うまくいくでしょ」と深く考えずに楽観的に構えているタイプもいるんだと思う。

60%や80%で合格点を出す人は、ある程度の見通しが立つまでは、うまくいくかどうかの判断はしないのかもしれない。

いろんなタイプの人がいるから何とも言えないか。


少なくとも私自身に言えることは、
・0か100かの結論を急がない
・自分を客観視する
・くだらないプライドは捨てる
というところだろうか。


0か100かの結論を急がない

仕事をする時、論理的破綻がないか、見落としているところはないかを考えすぎて時間がかかる。それに、考えてもどうしようもないことをうじうじ考えてしまうことも多い。そうやって「考える」こと自体は嫌いではないのに、早く白黒つけたがる面もあるように思う。

仕事では細かいところまでのんびり考えている余裕がないし、結論が見えている方が効率的なことは多い。だから結論を急ぐことが必ずしも悪いことではないんだろうけど、1つダメなところを見つけてすべてを否定すると、変えなくてもいいところを変えて、結局また元に戻すことになると、むしろ余計な手間がかかって効率が悪くなることだってある。

私の場合、「7割で合格とする」と割り切っていた方がいい気がする。


自分を客観視する

主観だけで物事を判断すると、間違えることがよくある。自分の都合を優先したり、思い込みのフィルターがかかっていたり、感情に流されたり、気分に左右されたり、好みを優先したりするから。

「関係部署の人ならどう感じるかな」「上司だったらどう見るかな」「データはなんと言っているかな」「『普通』ならどっちかな」と、無意識に使っている視点とは別に、意識的に別の視点から状況を判断してみる。

仕事できるなと思う人は、総じてこの視点の取り方がうまいと思う。

私はドツボにハマるタイプだから、意識して客観視する習慣をつけていかないといけないな。


くだらないプライドは捨てる

全体を曇らせて落ち込んでしまうことの原因は、くだらないプライドが大部分を占めている気もする。特に他人が関わってくると。

仕事でちょっとつまづいてドツボにハマるのは、方法をもっと練らないといけないという側面もあるけど、「時間かけたのに、できていないと思われたくない」「相手も納得するようなつまづいた理由が必要だ」「こんなところでつまづいているのかと思われたくない」「他の人にあっさり解決されたくない」という変なプライドが働いている気がする。

プライドは仕事を前に進めるための原動力ともいえるけど、くだらないプライドは邪魔になるから、捨てたほうがいい。

ただ、プライドって努力して手に入れたわけじゃなくて、もともと備わっているものだから、捨てる方法が分からないんだよね。

これも意識的に捨てる努力をしないといけないんだろうな。



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