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「人間の敵意というものは、本体に向かわず、そばにいる者に向かう」

一緒にいる人が変なことを言うとか、人に対して失礼なことを言う場合、本人はいいんですよ。本人は、下手したら「こいつ、個性的だな」とか「こいつ、おもしろいな」と、良いふうに転ぶことがある。

でも、相方が、「何でこの人と一緒にいるんだろう」とか「何でこいつを容認するんだろう」というふうに思われる。

人間の敵意というものは、常に本体に向かわずに、本体を容認する、そばにいる者に向かうという性質があるんです

   植木理恵(心理学者)

「ホンマでっかTV」


敵意って、そんな性質があったのか。

でも確かにそうだな。


番組では、芸人やアイドルの相方やメンバーに対する不満がテーマだった。

でも、芸人の相方という特殊な関係でなくとも、パートナーや家族という関係でも、同じ心理が働く。


「この人、いいな」と思って一緒に食事に行っても、店員に対する態度が横柄な場合、「この人、ないな」という評価に変わるというのはよくある話だ。

その時、本人への嫌悪感だけじゃなくて、「店員に横柄な態度をとる人をパートナーに選んでいる自分が恥ずかしい」という心理も働いているはず。

ドレスコードのあるパーティに招かれて、自分だけじゃなくてパートナーの服装にも敏感になるのは、やっぱり「ドレスコードを守らないことを容認している」と責められるのが自分だからなんだろう。


心理学って、無意識の心理や行動パターンを言語化してくれているので、本当におもしろい。

この敵意の矛先も例外ではない。


「この人、感じ悪いな」「こいつ、生意気な物言いをしてくるな」という人に出会うと、一旦はその本人に腹を立てる。

「なんでこんな言い方しかできないんだろう」「なんでそんな怒ったような顔しかできないんだろう」と、本人の言動に不快な感情を抱く。

でもたしかに、次はそばにいる人に意識が向く。

「この人はどう思ってるんだろう」「注意しないのかな」「何とも思ってないなら、この人もヤバいやつだな」と思うし、だんだん「なんで注意しないんだ」と怒りさえ感じることもある。


自分が「そばにいる人」であれば、「すみません、この人、ちょっと変わってるんですよ」とおどけてその場で釈明したり、それができないのであれば、何かのタイミングを見計らって、「すみません、さっきはあの人があんな言い方をしてしまって」と謝ることもある。

少し不思議な心理だと思うけど、「そばにいる人」の方が、こういう危機意識を持つことが多いし、恥ずかしさを覚える場合も多いと思う。

それに対して、常に「変なことを言う人や失礼な言い方をする人」は、あまり自分の言動がまずいことに気づかない人が多い気がするし、直接注意しても、なかなか理解してくれない人が多いような気もする。

偏見も入ってるかもしれないけど。

日本の「恥の文化」も影響しているのかな。



ただ、見方を変えると、好意も同じだ。

「感じの良い人や丁寧な対応をしてくれる人」に対して良い気分になることは自然なことだけど、その「そばにいる人」に対する評価も上がる。

道に迷った老夫婦が話しかけてきて、案内すると、おじいさんが屈託ない笑顔で「ありがとう」と感じの良い挨拶をしてくれると、隣で立っているだけのおばあさんに対しても「こんな素敵な人を旦那さんに選んで、この人も素敵な人だ」と勝手に思う。

「ポツンと一軒家」に出てくる夫婦を観ていると、そう感じることが多い。


敵意や好意の矛先って不思議です。



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