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「美しい唇である為には、美しい言葉を使いなさい。 美しい瞳である為には、他人の美点を探しなさい。」

美しい唇である為には、
美しい言葉を使いなさい。

美しい瞳である為には、
他人の美点を探しなさい。

   ─ オードリー・ヘップバーン ─

「20世紀の名言」


あのオードリー・ヘップバーンの言葉だそうです。

外見だけでなく、こんな言葉を残すほど内面も美しくて、本当に魅力的。あれだけの美貌を持ちながら、コンプレックスが多かったというし、悔しい思いもたくさんして、人の苦しみや痛みが分かる人なんだろうなぁ。


他人のいいところに目を向けて、美しい言葉を発するというのは、私が今まさに自分自身を改めないといけないと考えていることです。


転職して今の会社に入った時、当たり前のように同僚のことを非難する風潮が嫌だった。

職場以外で、友達や仲のいい同僚に愚痴をこぼすのはいい。ストレス発散するのは大事だ。

だけど、職場で、上司も聞こえている場所で、誰にでも聞こえるように話している人がいる状況に違和感があった。本人がいない時に上司が部下のダメ出しをしている場面も、多くはなかったけど出くわしたことがある。それを上司の上席が止めないことにもカルチャーショックを受けた。

指導する立場にある上司が本人に十分な注意や指導をせず、非難するだけなんておかしくないのかな。直接的なハラスメントではないけど、責任回避じゃないのかな。

ちゃんと教えずに、「普通はこうするのに、なんでできないんだろうね」といった陰口は、聞いているこっちまでショックだった。自分も同じように言われてるんだろうな、と。

「今度、○○部署の○○さんと仕事するんだけど、できる人かな?」「あー、その人は仕事できないって聞きますよ」みたいな会話もよく聞こえてくる。

前の会社が、チームよりも個人で動く働き方だったから、誰が仕事ができて、誰ができないかというのが、あまりそれぞれに影響なかった。人の悪口で盛り上がることはあったけど、職場で堂々と話していることはそこまでなかった。


恐ろしいことに、良くも悪くも人は環境に染まっていく。馴染まないと仕事もしづらいからね。

それで、今は私も職場で人の悪口を言うことが増えてしまった。最初は「自分は染まらないぞ」と思ってたけど、ストレスも大きくて。

今はハラスメントを避けたり、多様性を重視しないといけない時代というのもあって、いろいろ配慮が必要とされている。でも、そのバランスがおかしくなっている気がする。遠回しに「私は配慮が必要です」とアピールできる人は得する環境になっている気がしてならない。私はそういうアピールは下手だし、そもそも他の人に迷惑かけてまで配慮してもらうこともないので、(こういう言い方は良くないかもしれないけど、)損してる。


私が損してると同情してくれる人もいるけど、最近、ちょっと調子に乗りすぎているかもしれない。他人の悪口を言うことに抵抗が薄れてきている。

同情してくれる人は相変わらず優しくしてくれるけど、このままだと、私は「口を開けば他人の悪口をこぼす人」ということになりかねない。

一時期、ストレスを抱え込んでしまって苦しかったけど、私を理解してくれる人がいると知った今、そんな頻繁に愚痴をこぼしてストレス発散する必要はない。常に悪口を言うほどの新しいネタがあるわけでもないし、続けていくと、話を誇張したり、思ってないことまで言って同情を引こうとしてしまう可能性もある。これは本当にまずい。

どこかでやめないといけない。

人ではなく、仕事に打ち込もう。余計なことを考えて悪口大会を開催している余裕もないはず。仕事しよう、仕事。


人の顔には、その人の生き様が刻み込まれていくという。

生まれつき持っている唇や目の形そのものはあまり変わらないんだろうけど、表情は変わっていく。

いつも楽しいことを言って笑っている人は、簡単に笑顔になれる表情筋が発達しているはず。いつも何かに不満を持っている人は、気を抜くと怒った顔や無表情になることが多いかもしれない。

オードリー・ヘップバーンのように、優しい表情のおばあちゃんになれるような人生を送っていきたい。


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