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「物事を正しく恐れることは難しい」

物事を必要以上に恐れたり、
全く恐れを抱いたりしないことはたやすいが、
物事を正しく恐れることは難しい。

   ─ 寺田 寅彦 ─ (物理学者)

「20世紀の名言」


「正しく恐れる」という言葉は、これまでもよく使われてきた言葉だったのかな。コロナが日本でも猛威を振るい始めた頃、よく耳にするようになった印象がある。

初めてアナウンサーから「みなさん、コロナはまだ分からないことが多いですが、少しずつ分かることも増えてきました。感染対策をしっかりして、正しく恐れましょう」と聞いた時、聞き馴染みのない表現だなと思って印象に残った。


今もそうだけど、当時はみんなのコロナに対する意識に大きな差があった。職場でも、「もっと感染対策を強化するべきだ」という人と、「マスクしてたら大丈夫でしょ。やりすぎ、やりすぎ。」という人がいて、ちょっとギスギスした感じになったこともある。

さらに事態がエスカレートして、差別問題が出てきた。

赤の他人の命を守るために、昼夜問わず、家族を犠牲にして、身も心もすり減らしながら働く医療従事者に対して暴言を吐く人がいたというニュースをよく耳にした時期がある。医療従事者の子どもが学校でいじめられたり。

エッセンシャルワーカーと呼ばれる宅配業者やデリバリー業者に暴言を吐いたりする人もいた(いる)らしいけど、自分がそのサービスを利用しながらそんな態度を取るなんて、どういう心の持ち主なんだろう。

他にも、電車の中でマスクしてない人が原因で喧嘩になったり、ちょっと咳き込んだだけで白い目で見られたり、感染してしまった人や家族が嫌がらせを受けたりと、攻撃的になる人が増えた。

世の中の混乱が加速する一方だったので、アナウンサーは「正しく恐れてください」という言葉で落ち着かせようとしてくれたのだろう。


分からないことや見えないことって、怖い。不安になる。

暗闇が怖いのって、そこに何があるか分からないからだって聞いたことがある。幽霊も、いるかいないのか分からないから怖い。


私は怖がりな性格だと思う。

例えば、電話。かけるのも受けるのも苦手。何かお願い事の電話をする時、相手の表情が見えないし、強い口調で拒否されたらどうしようと怖くなる。なんて言おう、何時くらいに電話しようと考えているうちにどんどん時間が過ぎて、結局翌日に先延ばしにすることもある。かかってきた電話を受けるのも、無理難題を言われるのか、クレームを言われるのか分からなくて怖い。自分が返した言葉に対して激高されたらどうしようかと怖くなる。

新しい仕事に取り組むことも怖い。何から手をつけたらいいのか分からない。いつまでに何をどこまで進めていけばいいのか分からない。関係者と何を調整したらいいのか分からない。どういう作業があるのか分からない。そもそもこの仕事のゴールの正解が分からない。分からないことを誰に聞いたらいいか分からない。そうやって怖がって時間だけが過ぎていって、上司に何か訊かれたらどう言い訳したらいいか分からない。…と、どんどん恐怖が大きくなっていく。


他の人も、もしかしたら同じような不安を感じているのかもしれない。でも、みんなちゃんと手を動かして、いろんなところに電話して、いろいろ調べて、どんどん仕事を進めていっている。「すごいね」と言っても、「慣れだよ、慣れ」と軽く言ってのける。

怖いことがあっても、正しく怖がっているんだろうな。


怖がって逃げても何も成長しない。逃げたら、その場は楽。でも、逃げたら逃げただけ、分からないことが分からないままになってしまう。

最初は怒られてばかりでも、場数を踏めば経験値が上がる。分からないことが分かるようになる。むしろ新人でも分かるようなことが分からないと、先延ばしにした分だけ、怒られ、呆れられて、失望させて、自分も恥ずかしい思いをする。


怖がってる間にいろいろと考えるから、「いろんなところに気がつくね」と褒められることもある。

この名言が教えてくれているように、怖がることが間違っているわけではない。怖がりすぎて何もせずに逃げ出したり、気にも留めず向き合わないのが良くない。「正しく恐れる」ことが大事。


怖がりすぎる傾向がある私も、ちょっと気合を入れて何か手を動かしてみると、次の一歩も踏み出しやすくなることは経験的に分かっている。

めんどくさがりな性格もあって、気を緩めると手を止めてしまうんだけど、何も動いてないと思ったら、とにかく何か一つ駒を進めてみることを意識しよう。






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