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懐かしさにも似た、

高齢者の運転ミスによる事故のニュースはもはや珍しくもないが、夫の暴走運転を止めようとして助手席の妻が亡くなったニュースを小耳に挟んで気落ちした。
何年か前にも夫の暴走運転をなんとか止めようとした妻が亡くなったニュースを聞いて落ち込んだっけ……いやあの時は夫婦どちらも亡くなったんだったか。
人が亡くなってるから、それが免色もない赤の他人であろうと悲しくなる。という最もな理由の他に、祖父母のことを思い出して重ねてしまったから、というのもある。

いや、祖父母を事故で亡くしたわけではない。
単に、祖父は車を運転する際には(祖父一人だけで出かける場合を除き)祖母を助手席に乗せていた。それを思い出すだけだ。

父方祖父母とは同居してした。両親が共働きだったので特に幼少期は祖父母の世話になっていた。
(わたしが子供の頃なので、両親が共働きといっても親の帰りが遅いというわけでもなかったが。それでも祖母が夕飯を用意することは度々あった)
祖父の運転する車で出かけたことも何度もある。助手席には祖母、わたし含め孫たちは後部座席だ。
そして祖父の運転は……下手だったわけではない、と思う、が。安心できる運転でもなかった、と、もはや霞がかった記憶にはそう刻まれている。祖父の車に乗る時は妙な緊張感があった。祖父その人が、怒ると怖いという面もあったのが緊張感の一因だったかもしれないが。
学校から帰ると、祖父の車の代わりに見慣れぬ車が車庫に停められていたことは何度かあった。
車を買い替えたわけではない。代車だ。代車が必要になる程度に車が壊れる事故に遭っていた。幸い祖父母は無事だったが。
(祖父が軽自動車に乗らない理由がこれだった。普通車だから無事に済んだのだという)
詳しくは話を聞いたことがなかったが、一応、祖父がやらかして車が犠牲になったわけでなく、ぶつけられた形ではあった。とはいえ、祖父にもかなり原因があるような、そういうものだったようだ。
わたしが生まれるずっと前、祖父の運転する車で事故に遭い、祖母はあわや片足切断となるところだった話も聞いたことがある。最初に担ぎ込まれた病院で片足切断されそうになったのを、祖父が別の病院に連れて行って切断は免れたのだとか。祖母が片足をやや引きずるように歩いていたのはその時の後遺症だったという(最もその足で祖母は幼少期の孫たちの世話を焼いていたし、原付きを乗り回していたし、畑仕事もしていた)

なので、まあ、幸い祖父の運転は致命的な事故を起こすことはなかったけれど、そういうニュースを見ると他人事とは思えぬ心地になるのだ。
もしかしたら、祖父母がそういう末路をたどっていたかもしれないと、恐ろしい心地になるのだ。
(祖母と祖父は平成の終わる頃に相次いで亡くなっているが、それぞれ病死……広義の老衰である)

祖父が免許の返納を決めたのはいつだったか、伯母(祖父から見て娘)や我々家族からの免許返納を時折突かれつつ幾数年、確か節目の祖父の誕生日祝いの席での宣言だった記憶があるので……喜寿だろうか、いや米寿だったかな。
免許返納後はシニアカーに乗って、交通量の多い国道沿いのコンビニにふらふら出かけたり、それはそれでものすごく我々を心配させたものだった。
(シニアカーは一人乗りなので、一緒に出かけられない祖母が心配性を発動させて、祖父を探しに出かけたこともあった。わたしは車の運転ができるようになっていたが、小回りの効く自転車で祖父を探しに走った思い出。祖父はそんな心配なぞ知らぬ顔で、シニアカーでのろのろ帰ってきた)
祖父が痴呆症となってからは、シニアカーの出番もなくなったが。祖父は健脚なので次は徘徊を警戒するのに大変だったという話は割愛する。
(割愛したのに余談を挟むと、祖父の遺骨は足の骨があまりにも頑丈すぎて、火葬場の職員さんも感嘆の声をあげるほどだった。あの骨の丈夫さは家族の誰も勝てないと心底思った)

そうだ、祖父の運転といえば、ある日なんの前触れもなく、祖父の車で伊吹山に登ったことがある。
事前に山に登るという話は聞いてなかったと思う。どこに行くんだ?と思っているうちに山を登り始めたのだから。
途中で車がエンストして、不機嫌になる祖父に冷や冷やしていた、ような記憶がかすかにある。
なんとかかんとか、車で山の上の駐車場にたどり着き、少し歩くと頂上に行けるという話だったが、当時のわたしは歩くことを断固拒否して車に残った。
覚えているのはその程度で、車から降りなかったので景色も何もなかった。
今思い返すともったいないことをしたのだが、小学生も低学年の頃だったと思うので、仕方ないといえば仕方ない。
祖父が亡くなった後だったか、とにかく大人になってからあの日のことをふと思い返して話したら、母から「何だその話は、聞いてない」と言われた。
その場にいた妹は「あ。あれって夢の記憶じゃなくて、現実だったんだ」と言った。当時の妹は物心ついてるかどうかの頃だったと思うので、そんな風にもなるか。わたしですら記憶がこれだけふわふわしているのだから。
それにしても当時、家に帰ってから仕事帰りの母にこんなことがあったと、わたしも弟も妹も、全く話さなかったということか。普段なら今日こんな事があったと話しているだろうに。
子供心に何かしら「なかったことにしよう」あるいは「親には言わないほうがいい」と思ったのだろうか……
そんなおぼろげな記憶の補完と、純粋な興味で、自分で運転して伊吹山に登りたい、今度はちゃんと頂上まで。
と、思って調べたら、車で登るためのドライブウェイは有料だった。考えてみれば当然なのだが、調べたその時(何年か前だ)は有料だとは思いもしなかった。そのへんの山道と同じ感覚でいた、無知とは恐ろしい。
結果、伊吹山登山は現在もなお見送られ続けている。いつか挑戦はしたい。
話がそれまくったまま、終わる。

奇特なお方向け