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一貫800円

2008年の話である。
曽祖父(父方祖父の父)の五十周忌が行われた。
わたしの感覚で言えば、曽祖父は仏間の白黒写真でしか知らない存在なのだが、五十周忌を執り行った祖父はとても感慨深いようであった。
そりゃまあ、祖父からしたら父なのだし。そもそも祖父は青年期(たぶん)に病床の曾祖母(祖父の母……養母というべきか)に家を盛り立てることを誓ってこの家に養子に入ったという。
わたしの知らない色々な想いを抱えて養父の五十周忌を執り行ったのだろう。
などと当時も完全に他人事でおもったりしたのだが。

五十周忌の御膳は、めちゃくちゃ豪勢であった。
当時の写真(ケータイで撮って、mixiに上げてた)を見るに、刺し身とか近江牛のすき焼きだとか生ハムメロンだとか、滅多に食べられない・初めて食べるような料理が出てきた。
その中でも目玉料理は、

一貫800円のトロ

写真がボケボケであるが【一貫800円のトロの握り寿司】だ。
15年以上経っても忘れられない。心に残り続けている。
そんなに美味しかったのか?
否。
わたしは、これを食べられなかったのだ。
正確には、わたしと妹は、である。

【子供用】の寿司。見るからにグレードが違う。

わたしと妹の膳に出てきたのは【子供用】の寿司だった。
【子供】といっても、わたしは成人していたし、妹だって高校生だった。
納得いかない。
その場でめちゃくちゃ不服を訴えたが、だからって【一貫800円のトロ握り】がお出しされるわけではない。
忘れられない理由は、食い物の恨みである。
たぶん食べていたら、そこで「美味い」と思って、今となってはどんな美味さだったか思い出せないような、そんな程度で終わっていたのでないだろうか。
今あれを食べる機会を得られても、おそらく「あー、うん、美味しいね。でもこんなもんか」ぐらいで終わるのでないかと妄想する。
自分だけ(いや妹もなんだが)与えられるはずのものを得られなかった悔しさが、じっとりと心の隅に巣食い続けているのだ。

なお、弟は当時遠方で一人暮らしをしていて都合がつかなかったため、そもそもこの法事に参加してなかった。
あの日、弟もあの場にいたら、わたしや妹と一緒に【子供用】の寿司を食べていたのか、それとも【一貫800円のトロ握り】を得られていたのか、そこはちょっと気になったりする。
たぶん、一緒に【子供用】を食べることになってたと思うのだが、もしも弟も【一貫800円】だったら、今抱えているじっとりとした恨みがより根深く、弟との仲にも溝ができていたかもしれない……
などと、オチもないことを考えたりするのだった。

この恨みが晴らされる日はきっと来ないだろう。
別に晴らさなくてもいいんだが、ただずっとわたしの中に忘れられないものが残り続けるだけで、害もないし。

奇特なお方向け