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最近のこと/これからのこと

・・・こんなタイトルをつけていますがこれからのことなんて今の時点では何も思いついていません。私はどうにもどうしたいか、という欲求が弱い。この時代のトレンドとも言える人生の進め方「どうしたいか?」というのが本当に出てこないのだ。具体的に出て来ないだけで瞬間瞬間に思うことはある。私は自分の人生に恋して感動して生きていきたいのだ。



▪︎ 長野に来てから1年5ヶ月が経ったみたい

長野に行った当初は「東京はオワコンだぜ!」ばりにわくわくウキウキ長野に移住したわけですが、長野は気候がいい!夏は特に!ジメジメする梅雨ではなく涼しいしすごくいい。これはどこかで書いたかもしれない。冬はとにかく寒い!ストーブももともとお家にあったものを使わせて頂いているのですが、古い型のものなのでなかなか不具合も多く最初の冬は本当にシぬのでは?と思うほどでした。雪も降りましたが基本的に天気のいい日が多い土地らしいので両手で数えるほど。雪かきもほとんど必要なく越冬チャレンジは終了。

暮らし的なことに関して、我が家は車を未だに所有していないので移動は徒歩か自転車です。生活圏内に必要なお店は揃っているので食べるものには困りませんが、仕事がね・・・車がないと行ける範囲も限られるのでなかなか大変です。仕事に関しては私の最近と今後のことに大きく関わるのでまた後で書きます。

1年5ヶ月過ごしてみて生粋の東京CITYガールーこんな事言うのはなんだか調子乗ってるみたいで嫌だったのだけどもう認めざるを得ない。だって人生をほぼほぼ東京で過ごしてるんだものーの私は暇だなぁと。

誤解をされるのは嫌だなぁと思いつつ、長野は自然が豊かでいいところなのは前提として、私は新しいものがあふれる東京、都会も好きだということ。東京は満員電車が嫌だとか、別に繋がりたくない人とつながってしまう人との接点の多いめんどくささは心底嫌だったけど「東京」自体は好きだった。そんなことを思いましたね。


▪︎ これまで~最近のこと(仕事のことなど)

さてさて気の重い仕事の話。長野にいったのは長野で自分の力で好きなことで生きていくというのをやる為でした。実はあんまり覚えていないけどそんなだった気がします。会社務めと副業と表現活動とプライベートに勤しんできたので、移住して最初の半年はお休みというかちょっとゆっくりしていましたね。心は癒やされるのを感じ、ハンドメイドも移住当初は涼しい環境でもりもり作れたし、皆さんにも沢山手に取っていただけたのですが、段々とお金の心配が出てまいりました。あるあるですね。

不安になると創作などはなかなか難しくなるもので。依頼されたオーダー品などを作るに留まっていきました。

働かないとと思っていた中ひょんなことからライバーを始めることになったり。半年くらいは自分なりに本気で取り組んだのではないかな?人前で自分のことを話すとか苦手だったけど何時間も話せるようになったし占い(リーディング)も何百人とやってきてかなり感覚も磨かれて思いがけない自分の能力となりました。うん、これは良かった。盛り上げるとかは無理だけど持っていたおしゃべり特性が私の特技として伸びたような感じです。

今はそんなライバーはお休み中。頑張ったら頑張っただけ・・・とばかりはいかないのが私の精神衛生上良くなかった。どんなこともそうだと思うし起業とかされてる方もそうなんだと思うんだけど。そこでどうにもお金のなくなる不安に耐えられずアルバイトを始めることにしたのです。

現在近所の割と好き目なスーパーでレジをしています。これを書くの結構勇気いるよ?私自身10代の頃に某ドン・キホーテでレジを打ってました。だから出来るなと思ったからなんですけど、初日に研修を受けて初日ですからね、当然わからないことばかりで帰ってきて泣きました。

初めて社会に出たときにしごかれた勤続40年のお局様が定年で会社をやめたあとにスーパーでレジをしていると聞いて「あんなにバリバリやってたのに今レジしてるんだ」とどこか馬鹿にしてたんですよ、私。性格悪いというか、感謝もしつつ、自己肯定感の低い私にはかなり手強い人だったのでどっちかというと多分苦手だったんでしょうね。というか嫌いだったのかもしれません。だから「仕事は眼の前のものをこなしていくだけ」みたいなことを言っていたその人を私は違うと息巻いてたのに、その後も仕事に使命感を感じられないまま長野に流れてきて、こうして同じようにレジを打ってる。レジをやっている人を馬鹿にしているわけではない。私が馬鹿にしていたことを私は今選んでやっている。それがとても滑稽で虚しく感じて悲しかった。

初日は泣いてたけど自分が不安でいるよりは、と選んだ道。東京の一部上場企業で働いていたことなんてここでは意味がない。私は接客のプロに接客を学ぶんだと切り替えて働いていました。声を出す、人と話せるのはやはり楽しい。今はちょっとのマンネリと軽いエクササイズのような楽しさを両方持って働いています。

これを話すと驚かれますが「よく話したね」と言われます。恥ずかしいのは自分がやるといったことに届かなかったこと。まだ叶えられていないこと。

だんだんなれてきたもののこのままではな、となったところに会社都合でアルバイト先と派遣会社の契約関係が終了することになる、急展開を迎えることになったのでした。う~ん神の采配。直接雇用される道もあり現場の方も是非と言ってくださいましたが、まだまだ長野でのんびりするには私はやれていないことが多すぎる!体が動くうちにもっとエネルギーを出したい気持ちがあるので、決断しました。


▪︎ これからのこと

流れ的に仕事を変える必要が出てきたわけですが、それと同時期ぐらいに私の中にある思いが湧いてきていたのです。

それは

「自分で事業をする」

それにもう一度挑戦したいという思いでした。何度かフレームを考えてみたり、ビジネス講座的なものに足を突っ込んだこともありましたが、ハンドメイドと販売以外はやったことがなく、ハンドメイドで生計を立てるのは難しいと言われてから諦めきれない思いもありつつ手も足も出なかったのですが、やっぱり、やりたいと。

というのもアルバイトを始めてから長野の人々と会話を多少するようになり、東京にも度々訪れる機会も増えこの人素敵だな~と思った時に「一緒に働きたいな」「私に事業があれば一緒に働こう!っていえるのに」という言葉が出てきたから。ああ、私はサービスを作りたいんだ。誰かと一緒になにかをしたいんだ。一人じゃなくて。と。

これからはハンドメイドもしつつ、リーディングや配信を利用した無形のサービスを始めたいなと思っています。私のやれることの総力戦しかない。

ここで冒頭に戻ると私は「こうしたい」があまりない人間なのと、身近な人の為、にしかものを考えられないフシがありまして。顔の見えない誰かのためにはアクセサリーも作れないし、架空の人に提供するサービスってピンとこないのです。なのでなかなか苦戦してます。顔が浮かんだ大切な人たちがこれをしたら喜んでくれるかしら?と思いを馳せ、時にこれが誰の為になるのかと思いつつ、今練っている最中です。

がんばれ、私!


▪︎ 最後に

事業をやりたい!それに再挑戦。性質的に一人でのビジネスには向いていないかもしれない。その為に長野の自然にめっちゃ癒してもらってパートナーに家事をやってもらって←心を整えてやっていきます。

ライバーをしている時に言っていた言葉があります。

「私は”私と関わる人は幸せになる”ということを決めている」

何を言っているんだろうと思われる言い回しですが、私の目の前にいる人は絶対に幸せになる。私はそれを決めています。絶対にそうなるんだ、と。どうしたいかがぼんやりだぜとか言ってるくせにここは本当に揺るぎないのです。何なんでしょう。私は人にとってのそんな居場所になれるし、そんな存在だとどこかで思ってるんですよね。めっちゃ自分肯定してるじゃない!その為に私が我慢したり、力を出し惜しみするのは絶対に駄目。そこは結構最重要課題なので取り組み中。その話もおいおいね。

この先関わってくださっている方が幸せになるようなそんな何かを生み出しますので、どうかこれからも大陸のようにじっとりと動く私を見守り応援していただけたら嬉しいです。


長野より。愛をこめて。

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