見出し画像

音楽を通して思い出した大切な自分との約束

私が音楽を本格的に
聴くようになったのは恐らく小学生の頃。

それまでは父親の持っていたレコードで
クラシックを聴いたりする程度だった。
(あのプレーヤーとレコード捨ててしまったんだよね。レコードもお気に入りのものは残してるけど。実に残念である)

当時流行っていた
芸人さんがプロデュースされて
歌っている8センチシングルのCDを
友達のCDプレーヤーで聞いていた。

人の心を動かすことを意図して作られているであろうメロディーの展開。
コーラスも重なって厚みが出ているが
決して上手いわけではないボーカルが
逆に等身大で親しみがあって
絶妙なバランスだった。
目の前で同級生がやっていた
キックベースがスローモーション。
やけに感動的な気持ちが
湧いて1人興奮していたことを覚えている。

その時から
音楽に包まれることがとても好きだったなと
思う。

それがあってからすぐに
CDプレーヤーを買ってもらって
お小遣いで好きなCDを買った。
発売日にいそいそと
近所のCDショップに行って
CDプレーヤーで
1曲を通しで聴く。

(CMでは一部しか聴けないからね)

「うわぁやっぱりいい曲だった」
そう言って
初めて出会うメロディから
心の中に生まれる新しい感動と
それに心震わせる気持ちよさ。
B面(カップリング)に
隠れた名曲がありがちだよね。

その後バンドをしていた友人の
ライブに行くようになったり
そのご縁で新しいバンドを知ったりで
そこでいい音に触れると
生きているなぁと
思いが口から出てくるようになった。
それは彼らの演奏の技術も
素晴らしかったということはあるけど
何よりも私の心に
生まれる前からインプットされているものを
再生されるような感覚だった。

心地よいと感じる音楽が
何かを動かして
胸のところから波紋のように広がっていく感じや、
遠く離れたところから
俯瞰してその空間を見つめているような
感覚に陥ったり、
そのことが
私のクリエイティビティに火をつける。
何かしらの作品を生み出せる時は
マイブームの曲を聴きながら
思いを馳せている時だ。
その確率が圧倒的に高い。

今更に気がついて深夜に
スマートフォンのメモに書き殴っている。

「魚座は音楽とともにあれ」
しいたけさんが占いで言っていて
気に入ってよく使っている。
忘れていたようだ。

コロナのおかげかせいなのか
自宅で仕事をすることになって
あまり日常的に音楽をかけることが無くなっていた。
事務作業の時は
無音の方が作業として処理できる。
音楽があると落ち着くけど
仕事のスイッチは別のところにあるらしい。

話は逸れたけど
私の心に触れる
あるメロディなのかコードなのか
それと共鳴するように
わたしの中の想像の泉が湧いて
この世にその素晴らしさ美しさを
表す物質に姿を変える。

感じるだけでも喜びはあったのだけど
いつの日か
それだけではたまりすぎて苦しくなった。
だからわたしはそれを
何かの形で表現するアーティストになりたいと
思ったのかな。

ある人に
「出さないで、フラストレーションたまらない?やってみたらいいのに」
と言われたことがあった。
多分本人は全く覚えていない
本当に日常のただのライブ後の
無数のお喋りのなかのワンシーン。

それでも今でも時々思い出す。

感じているだけでは具合が悪かった。
音楽の学校にも通っていて
卒業してからも
なんとなく歌のレッスンに通っていたけど、
心の中を出す、というのは躊躇するものがある。
妄想の中で人目を恐れていたか、
完璧に表現できる力がない事に
どこかで絶望していたのかもしれない。
出さない事にはクオリティも
上がっていかないのにね。
臆病だった。

その後は思うように出来なくて
このまま死んでいくのか、
いやいや、それは嫌!と目覚めて
表現の機会をもらったり
怖がっている背中を
ドーンと押してもらって崖から落とされたり。
その時出会った人、今はいない人たちへの
感謝の気持ちもまた
音楽と同じように
私の心に大切なものをくれた。

この人生で沢山心の動きを感じて、
言葉にならなかったその中身を
この世界に表現するために
きっと私は生まれてきたのだろう。

それはそれをすることで
大成して、有名になるとか
そういうことではないかもしれないけど、
そうなる必要がある人はなるのだろうけど、
感じて溜め込んで苦しくならないように
出すところまでで1セット。

その表現する喜びを感じるために。
あの何事にも変えられない幸せな気持ちを
感じるために。

そうして、生み出されたものが
この世界の誰かの心を
ほんの少しでも震わせることが出来たら
こんなに嬉しいことはない。

幸せになるために生まれてきた私たち。
その幸せの形は色々だ。
時々周りの人の幸せの定義に触れて
書き換わることもある。
これだったんだ、と
変わることもあるし
惑わされて忘れて
全く違う方向へ行くことも。

そうすると修正が入りますね。

実は落ち込んでまして、
わたしの中に何もないような
虚無感に襲われていて
まだその途中なのですが
たまたま3年前のFacebook投稿を見て
音楽と共に表現をする私の姿を見て
思い出したところです。
そう、いつも同じこと思い出す。

私はどんな人生を送りたかったのか
しっかりと思い出して
次のステージに向かいたいと思う
休みの日の夕方です。

よろしければサポートお願いします。 素敵な作品やサービス、文章を届けできるよう頑張っていきます!