服を脱いでみて思うこと 〜そして私はどこへ行こう〜
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服を脱いでみて思うこと 〜そして私はどこへ行こう〜

7月の初めに現在取り組んでいるモーニング・ページのワークの中でなんとなくの思いつきで書いたーでもいつも優先順位は低いが思い描いていたものーが現実となった。


やりたいことに書いてしまったもののヌード撮影なんて、正気の沙汰ではないと感じるだろうか。当の本人は撮影の話に発展したときこそ外側への反応は取り乱したものになっていたが、心はとても静かな海のように落ち着いたものだった。

相手はプロとはいえ男性の前で(更にはその奥さんの前でも)肌を晒す。なんなら自分のパートナーも同席だ。パートナーが嫌がらないのかとか、私も全く考えないタイプ人間ではない。本当はどうなんだろうと聞いてみたら「そりゃ誰でもいいってわけじゃないけど、彼はアートと思っているだろうから」と。心が広いというかなんというか、拝みたい気持ち。彼が自由に自己表現をする人を増やしたいと思っているそんな人だからこその考えだろう。

そう、これは私の自己表現でありアートだった。



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座布団を動かしたとか、ポーズの誘導をしてもらったのに右と左がめちゃくちゃになるとかそんな記憶はあるのだけど、終始不思議な気分だったので当日の覚えている感覚を少し。

撮影してみてとても不思議だったのが、服を着ている撮影のほうが表情を気にする自分がいるということだった。カメラを前にするとどうしても良く写ろう、綺麗に笑おうとしてみたり、顔の歪みを気にしてよりこわばったり。それが服を着ていないことで不思議と顔の力が抜けていた。と思う。カメラをまっすぐ見ることですら普段は抵抗があったのに。

気にしていなきゃいけないのが顔だけではないからかもしれないと考察する。それくらいヌード撮影というのはこの空気も、体も、指の先までも私なんだということを思い出させる。



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ちょっと昔話をしよう。私は実家にいる時間が長くて、その時に家に帰れば娘に戻る。外で沢山の恋愛を経験して大人の女性を装っても娘に戻って眠りにつく、なんとも不思議な状況だと思っていた。完全に切り分けていると思っていても環境が人に及ぼす影響は多い。

母は性的なものを嫌う人だった。正しくは性的なものを子供に見せることを嫌う人だった。完全にそういうものなしにしては私も生まれてはいないわけなのだけど、女性としての一面が自分にあることを子供に隠しておきたいために毛嫌いしているようなそんな感じだった。

私が性的なことに興味がある素振りを見せると鬼のように怒っていた。怒られたら理由も聞かされずにただ受け入れて「これをすると怒られる。捨てられる。ご飯を食べさせてもらえなくて死んでしまう」と思っていろいろなこと、自分の興味関心本心もひた隠しする娘になった。まぁ、性的なことはフルオープンするようなものではないのだろうからあの反応はある意味普通なのかもしれない。今ほどコミュニケーションに関しての情報はないだろうし。

そんな親の目を潜在意識下で気にしている私は常に自分を監視している。そんなことをしたら、大変なことになる、と。

でも本心は興味津々だから興味のあることは経験しないではいられない。そして内なる母親を使って自分を責めていたこともあった。


モーニング・ページに取り組みながら、内観を続けていて最近になってこの「否定されて、捨てられる」ということに異常なほどに恐怖を抱いていることに気がついた。

それが私の葛藤の根源にあるものだった。

実は以前「私の白斑を写真で撮ってほしいと思っている」と話したことがある。ヌードという話ではなかったけど私がある意味一番見せたくない部分。多少の露出はあるのである意味そのとおりになったのだけど、当時は私にパートナーはいなかった。今は状況が違う。これは、こんなデリケートなところは最初にパートナーに撮ってもらうのがスジなのでは?(スジとはなんなのか)とかで実はずっと一人で葛藤してた。


この日まで何回か撮影に手を上げる機会はあったけどそれが理由で見送ってきたのです。実は。

こんなことを人にお願いしたら、嫌な気分になるのではないかと思ってしまうのは私の昔からの癖。考えなかった時期もあったが「なんで人の気持ち考えないの!考えれば嫌なの分かるでしょ!」と過去誰かに責められ続けて一人で考える癖が付いた。嫌なものは人それぞれ。コミュニケーション不足だ。

察することなんて出来るはずもない。さっさと聞いてみればいいのに。

(パートナーは「そこまで撮りたいという情熱は無くてまいちゃんが撮りたければという感じだから」ということだった)


やりたい!でも、見捨てられる、人格否定されるとか思うから両極にゆさぶられて葛藤する。だけどいつの日も葛藤の裏にある答えは「やりたい」だ。




過去怒られた末に自分に禁止令を出していることは山程ある。きっとその出来事や衝動に出会うまでそのことは忘れてしまっているだろうけど、女性的なアピールをすることもどこかで禁止していた。色気があると褒められれば「タレ目なだけだよ。唇厚いだけだよ」と茶化す。それはそこを認めたり使ったり表現したら捨てられて私は死んでしまうからだ。

すこし極端な表現だが、子供というのは親の助けがないと死んでしまう。この反応は私が自分自身を守るための反応。今でもその思い込みや癖を持ち続けて自分の行動や表現を抑えていた。「出し惜しみしている」と言われたけどきっとそう。


今は昔の自分を癒やし、少しずつ開放させてあげている最中。
それをさせてくれて見守ってくれているパートナーにも感謝している。


怒られても、否定されても、批判されても、人格を否定されてでも「関係ねー!」と、やりたいことがあるとしたら?

それは考える間もなくやってしまうことかもしれない。



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私は自分の雰囲気が結構気に入っている。どこから見ても綺麗!だなんて言えない容姿でも、これまでに背負ってきたものや出来事が雰囲気とか空気というものにはにじみ出ているようで、私の入れ物の体よりもそちらが私なのではというくらいに実に人間らしくていいなと思っている。


私を出すこと、自己を表現するということは簡単に言えるが難しい。出し方は沢山あるから。表現で悩む人はだいたいは一番気持ちいい出し方ができていないから悩むのではないかなと思う。

私が今やりたい自己表現のファーストステップとして撮影した「暗闇で電飾巻きつけて踊りながらセルフポートレート」をやったこと、そしてそれをSNSで発信したのは、それがその時思う一番気持ちがいい出し方だったから。自分の写真を見ていてドラマを感じるのが好きで、どこか表に出す、というのもセット。

人は完璧ではないけど自分ではいいと思っているものを人に共有することが喜びだったりするのではないかと思う。私はそうだ。


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ヌード写真の一部を公開したのは写真を見せてもらってコンプレックスばかりの自分が自分からはとても美しく見えたから。出さない選択肢はなかったし、むしろ見てほしかった。私こんな顔してるんだ。

娘としての自分、冒険を好まないおとなしい優しくて清楚で真面目なイメージの、長野に行って落ち着いちゃうんだな、みたいな自分を自分自身が一番壊したかったから。それを写してくれていて感動した。

(清楚は言われただけでまったく思っちゃいないけどね)


撮影データを全部見た友人は「まいこ普段もこんな顔してるよ」と言っていた。

そんな部分を見ないようにして振り回されていたのは私だけかもしれない。


その出し方が何かわからなくて苦しかったんだけど。
遅すぎる反抗期みたいだ。


私は服を脱いで本当の意味で少し大人になったのかもしれない。


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このセルフポートレートがきっかけで今回の撮影が決まったのだから、どんどん出していくことでより自分を表現できるのかもしれない。それが自分自身の本当に望むことで、創造の神が望むものならば。





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さて、これを公開して、私はどこへ行くのか。

こんなに心が動くのなら興味がある女性には一度は撮ってみてもらいたいとは思う。かといって私ができることはないんだよなぁ。「撮ったらいいよ」と熱弁するぐらいのものだけど。鎧や服を脱ぐとに抵抗がない人、脱ぐことによって鎧を着ちゃうタイプの人には勧められないよな、とふと思ったりもしたけど、撮ってみないと分からないこともあるからとりあえず全女子やって(結局)

この撮影が決まった経緯は無意識やヴィジョンをうまく使ったいい例だなと思うんだけど。

結局私はやりたいことに飛び込んでそれが価値があろうがなかろうがそもそもそんなものも自分で決めればいいわけだから、自分にできる表現をして生きていく以外にない。


この撮影をしてくれたフォトグラファーの和田海人くんが「全世界に公開したい!それくらいいい!」というテンションだったので、その被写体でいられたことはちょっとは私も世界に貢献したのではないかぐらいは思っている。思わせて。

海人くんが撮影したときのこと書いてくれています。この時の気持ちが写真によく写ってるなって。だからこそ私も自分の写真を延々と眺められるくらいに美しいと思ったんだなと。


ネット上での公開は違法ではない範囲のものだけどメディアのコンプラ的にNGかもな写真も多数あって、でもそれが凄い雰囲気が良かったりするから女性限定の個展とかをやりたいと思ってるんだけど、今のところどうしたらいいのかな?と手段考えると見えない感じなので、意図しておこう。


時は来る。必要であれば必ず。






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生まれも育ちも都内の「東京箱入り娘」| 2021年4月長野移住|葛藤と生きるクリエイター| アクセサリー作家|自分で書いて自分で泣いて涙活は自家発電|エッセイの本を出すのが夢