2022年1月1日から20日まで

2022年1月1日

入門した時、師匠から「日記を付けた方がいい」と言われたが超即頓挫の経験しかない。でも日記は付けて置いた方が絶対にいいと思っているので、先月やってきた弟子志願者に「日記付けた方がいいよ、私はできてないけど」と言ってみた。後日「いや~ちょっと・・・すみません」みないな返答を期待して「日記付けてる?」と聞いて見たら、まっすぐな目でこちらを見ながら「はい!」と。おお。これはまずい。こうなったら、私も日記みたいなやつを書いていこうとこれを始めました。変更可能な、なんとなくのルールとして「一日1文字以上400文字以内」「10日ごと公開」としてみました。1年続いたらめちゃくちゃ凄い。

1月2日

今年も立川流の新年会は中止。この集まりは「ああ堅気な生き方してないな」と再認識させてくれるとても高カロリーなイベント。あったらあったで気が重く、なきゃないで少し寂しい。中間はない。2日が空くことが決定してから、「この日、何かで埋めないと新年稼働してない落語家ってどうなの?と心を病むぞ」という焦燥感から色々あって、結局五十嵐雅くんと生配信をすることになった。二転三転、いやもっと色々あったが色々助けられた。私の周りには素晴らしい人がたくさんいることを私は忘れているようだ。

1月3日

ライフ幡ヶ谷店で「そうだ、カラシが無かったからカラシを買おう」と売り場へ。一通り見て「S&Bとハウスって違いがあるのかなぁ」などということをぼんやり考えながら、「徳用の大き目なチューブのやつ買ったことないからこれにしよう」とS&Bのものを購入。シューマイを食べる時、「そうだカラシ買ったからカラシ付けちゃおう」と手に取ってまわりのビニールをはがして・・・???、私が手にしていたのはしょうがでした。カラシと間違えてしょうがを買ったというだけの話なのですが、なんだか私の人生を凝縮したようなエピソード。

1月4日

私は立川流の運営をやっており、皆に「ワリ」を渡す、つまり経理作業もその中の一つ。99%かみさんの力でどうにか新春一発目の日暮里寄席に間に合った。そしてこの日は弟子志願者を見習いとして楽屋に入れる初めての日でもあった。初めて楽屋というものに触れる見習いを見ると、「自分は最初どんな感じだったっけ?」と24年前のことを考える。人生を二度味わうような、得した気分なのだけれども、何を得しているのかはわからない。

1月5日

最初は男性のみの「旦那会」と女性のみの「女房会」を開催して、年末に合同の「夫婦(めおと)会」開催!みたいな落語会を思いついたのですが、ネーミングからなにから「なんだかしっくり来ないなぁ」と感じていました。でもとりあえず始めないと何も動かないので、「夫婦(めおと)会(仮)」として色々と準備を始めました。コロナ禍での開催ということもあり、男性陣の出演が難しくなったのですが、ありがたいことに女性陣は概ね出演快諾。男女混合の落語会は考えから外し、女性のみの落語会をどうやって行くかということに軸足を置いた途端「オトメカイ」というネーミングが浮かびました。しっくり来ました。その「オトメカイ」の二回目を4/24の夜、お江戸日本橋亭にて開催します。その出演依頼をメールやラインでお昼くらいに送ったら、驚くほどの速さですべての方からOKの返信。皆にしゃべってもらうネタの選考&構成に取り掛かります。

1月6日

入門当初師匠宅で週1の落語の稽古がありました。師匠の前で正直覚えきれていないネタを毎週しゃべるということが約2年間続きました。入門してすぐ、当時師匠と仲の良かった劇団に送り込まれていたので、師匠の仕事、落語会の仕事、劇団の仕事の合間で落語を覚えました。いや覚えきれてないから、正確に言えば自分なりに覚える努力はしていました、という感じ。でもあの期間大事だったんだよなぁという思いから、今年から自宅稽古日を週2に設定。この自宅稽古は参加者の落語を見るということと、私が稽古しておきたいネタを参加者の前でしゃべるという構成。そして今日はその初日。初心に帰って「道灌」。あの頃と違うのは師匠の仕事、落語会の仕事、劇団の仕事がないこと!

1月7日

前々から気になっていたフードロス救済スーパー「マルヤス」大森東店へ。NHKのドキュメント72時間で取り上げられてしまったので、激込みの日々が続いていたようですが、ようやく落ち着いてきた&おせち関連の在庫があり過ぎて困ってますツイートを見て「今週の平日夕方が狙い目なのでは!」とこの日を選択。さすがにおせち関連はほぼ品切れでしたが、にんじん11本で100円など、パンチの効いた商品多数。もちろん「オーケーの方が安い」「文化堂のアウトレットコーナーで同じものが半額だった」という商品もありましたが、それはそちらの値段がバグっているのであり、マルヤスが高いということではありません。また「掘り出し物を探す楽しみ」が半端ないので、近所の人がうらやましい。少し大人しくなってしまっていた未踏のスーパー廻りを再開しようと思いました。

1月8日

しのばず寄席。今年の初高座。約10日振りの高座が主任というのは結構くたびれる。リハビリ欲しい。出番終わってすぐに楽屋を出れば閉店間際の吉池に寄れる!と思って楽屋入りしましたが、終演後抽選会の司会があるとのことで「吉池、間に合わないかも」と不安になる。諸々終えて楽屋で着替えていたら、永谷の「若旦那」とお話することになり、時間にしたら10分程度ではありましたが、互いの内部の「なかなか」な情報交換や今後の展望をいくつか。話の重大性から「今日は吉池は諦めて業務スーパーにしよう」と切り替えました。閉店間際の吉池を諦めるくらい重大な話をしていたということです。

1月9日

しのばず寄席の興奮が治まらず、溜まっていた録画&ミカドの配信を見ることでクールダウンを計ったが、結局朝9時くらいまで起きていた。ゲームセンターミカドの配信を見るようになって3年目。バーチャファイター、ときメモ対戦ぱずるだまの対戦会やシューティング、アクションゲーム配信などは過去さかのぼってほぼ全て見た。特にメモだま勢の配信が好きなので「タニマチシステム」に一口噛ませてもらっている。現地にも行きたいなぁということを思いながら就寝

1月10日

本当は色々と出かけようとしていたのだけれど、「年末年始の録画でHDがパンパン」という理由で外に出るのをやめた。大相撲初場所二日目の客席に談四楼師匠の姿が!その姿は先日写真を撮った半四楼とほぼ同じだった。この日見た録画映画は「インファナル・アフェア」「宇宙人ポール」バラエティは「有吉の壁」「爆笑ヒットパレード」「エンタの神様」アニメは「クレヨンしんちゃん」「サザエさん」録画分全て消費。こういう日が連続したので、しっかり1㌔太った。

1月11日

区の健診結果を聞きに行く日
今回から健診場所を変えてみた。検尿のやり取りの仕方が以前と違ったことを思い出した。全国の検尿の受け渡し方法をまとめた人とかいるかも。
ちなみに「健診」と書いたが、最初は「検診」としていた。どちらが正しいのか?と調べたら一般的な健康診断は「健診」で、何か特定のものを調べに行くときは「検診」らしい。

1月12日

検診結果を持って、定期健診で福澤クリニックへ。通い始めて15年くらいか。故・らく朝がかみさんと二人でやっていたクリニック。今はかみさんが院長を引き継いで継続。と言ってもらく朝は公演中心の生活でクリニックにいることはほとんどなかったので、通う身としてはほぼ変化なし。健診と墓参りを同時にしている気持ちになるので、なんだか清々しい。この日は自宅稽古日だったので、家で掃除などをしているところで六本木不動院の住職の訃報を聞く。昨年の7月に亡くなっていたとのこと。住職が「落語会を開いてくれる人」としてらく朝に辿り着き、らく朝から「毎月開催は難しいから手伝ってくれないか」と相談を受け、始めたのが「不動院寄席」。住職の墓は六本木不動院とのこと。ご冥福をお祈り致します。

1月13日

広小路亭夜席の出番。
見習いに楽屋で着物を畳ませてみた。先輩たちが見守る中着物を畳むという行為は本当に難しい。もちろんうまく畳めない。里う馬師匠は笑いながら「まだ自分の師匠の着物だけにしておいた方がいいね」と。洗礼は年季が早ければ早いほどいい。立川談志が睨みつける中、師匠志らくの袴が畳めず「おい!志らく!てめえの袴はてめえで畳め!」と私ではなく師匠が怒鳴られたことを思い出した。

1月14日

談吉と配信音源収録のため電話
色んなことを「すぐにやめてしまう」ので、再生回数とかそういうのはどうでもいいから「とにかく続ける」というコンセプトでどうにか1年半続いている
夜は千歳烏山の西友が今月で閉店するという情報をちらっと見たので、オオゼキに寄るついでにちらっと行ってみた。高田馬場の西友が閉店する時も「一応一回入店だけしておくか」と足を踏み入れた時と同じ行動。閉店する西友の側には必ずオオゼキが。と言っても二か所だけだけど。

1月15日

めまい
おそらく左耳の耳掃除を強くやり過ぎたのが原因だと思う。
気持ち悪くなったら寝る、気持ち悪くなったら寝るという一日

1月16日

めまい二日目
「おお!めまいが改善されないのか!」と思いながら広小路亭昼席
一席しゃべったらすっきりするだろうと思ったが、すっきりしなかった。数年前から体調に問題があることはわかっていたが、日々思い知ることが増えてきたので、本当に体には気を付けようと思う。

1月17日

めまい改善
翌日は午前中小学校の体育館で3ステージという、おそらく体力勝負な一日になるので、リハビリ兼ねて前座噺の稽古。

1月18日

立川流Cコースで活動をしていた濱乃志隆さんと阿佐ヶ谷の学校寄席。1・2年、3・4年、5・6年、と三つに分けて3ステージ。あえて全て「子ほめ」にしてみたら、年代ごとに反応が違い、人間の成長を強く感じた。
また落語体験というミニコーナーで一人めちゃくちゃ正座姿がしっかりした女の子がいたので、「正座とかするの?」と聞いたら「剣道をやってます」。納得。落語は話芸だけど、座り方も大事かも。立川流猫背過ぎる時あるから。

1月19日

自宅稽古日
土屋礼央さんがいらした。「また再び落語をやって行きたいという思いを伝えに参りました!」とあの人らしい振る舞い。そういう姿を周囲が見て刺激を受けるかどうか。お子さんの中学受験の話などをしている時、ちょうどこの日稽古に参加していた現在中学2年生の声優志望女子が「私は中学受験しましたけど、楽しかったです!」と。そして土屋礼央さんが「ええ?もう少し詳しく聞かせて」と食いつく。私はどういう場を皆に提供しているのだろうか。楽しい時間。

1月20日
午前中、見習いが濃厚接触者ということになった連絡が来た。正確に言えば「来ていた」。翌日の昼席主任の準備でネタをさらうので必死で携帯を見ないようにしていたので気付くのが少し遅れた。楽屋入りしていた前座さんが的確な指示を出したおかげで助かった。私もそこから運営陣に連絡メールを出す。夜、自宅待機になるであろう見習いにいくつか課題を考えてラインした。

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