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思案03『落語を記述する拡張子』

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2022年11月19日
『落語のからだアナトミア』第1回

 『落語』と聞いて「古くさい」とか「面白くなさそう」というイメージを抱かれる方は少なくないだろう。そう実感するのは、他ならぬ僕自身がかつてそう思っていたからだ。ゴリゴリのお笑い好きだった僕は、落語を笑いの対象として認識していなかった。例え上質だとしても、せいぜい昔ながらの「ベタなお笑い」止まりだろうと見くびっていた。でも実際はそうじゃなくて「一人の人間が着物姿で正座して喋るだけ」と、衣装や舞台セットや動きなど、あらゆる要素を省略した表現形式だからこそ、反対にあらゆるものを表現してしまえる強さを落語は持っている。
 ゴリゴリのお笑い好きなら例えばランジャタイの漫才を想像してもらえば言わんとしていることがわかるはずだ。街裏ぴんくの漫談やDr.ハインリッヒや金属バットの漫才なんかもそう。ヨネダ2000もその匂いがする(軍艦の漫才もそうだけどこれはさすがにマニアック過ぎるか )。コントじゃなくて言葉だけで表現する漫談や漫才は想像の余白が多く、うまく活用すれば観客の脳内補完を促すことができる。その結果、目に直接飛び込んでくる舞台の光景以上のものが、ありありと脳内に浮かび上がる。そのとき、面白みを生み出す強力な原動力になるのが、「現実にはありえない光景」をリアリティを伴った状態で作ってしまえることだ。もちろんCGを使えばどんな光景も描くことができるが、作り込みが甘いと観客は興ざめする。ところが、情報を言葉で伝え、それを元に観客自身が脳内で描いた像は強いリアリティを伴う。それはどんなに荒唐無稽な夢でも、なぜか見ている最中は現実のことのように受け入れてしまう体験からも明らかだ。金属バットの小林さんが「俺さぁ、こないだ、等身大の人形を作ってさぁ、それに車輪をつけてラジコンにしてん」と喋ると、観客の僕たちには無意識のうちに背の高い坊主頭の人形に車輪がついて、それが街をうろうろ徘徊している映像がリアルに浮かんでくる。そしてその光景は、しみじみ面白い。
 さぁその上で落語は、さらにその先へ行けるんじゃないかと信じている。あらゆるものを省略することで想像の余白を確保している点で漫才と落語は共通しているように思えるが、落語は、漫才における漫才師すらも省略しているからだ。

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