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件の問題について反応しておきます

 昨年11月 日本経済新聞の別刷り NIKKEI THE STYLEに手帳関連の記事が出ました。私はこの記事について、記者の方からかなり早い時期にコンタクトをされ、ほぼ全面的に協力をしました。
 また、記事が公開後には、「舘神の協力がなければこの記事はできなかった」旨の連絡もいただきました。
 その後、Yahooニュースにて、以下の記事を公開しました。
【手帳の現在】日本経済新聞「NIKKEI THE STYLE」11/19付けのコメントを補足します

 これに関して、なぜかかみついてきた方がいました。
 曰く、舘神は自分の事を誹謗中傷・揶揄している。
 そしてこの記事は、手帳の愛好家や手帳クリエイターを毀損している。そればかりか掲載紙に対しても失礼である。

 この件について、反応しておきます。反論ではなく反応なのは、もともとの文言が論としてのていをなしていないからです。

 まず、最初に断っておくと私は、SNSで他者を非常中傷するほどヒマではありません。たしかに「○○の会には手帳マニアが行く」とは書きました。それについては、その会にはマニアが入れないという鉄の掟が存在したことを知らず失礼したと思っています。すみませんでした。
 ですが、それ以降はこの件に懲りて、そういうことはまったく言っていないわけです。

 また、手帳の愛好家やクリエイターを毀損するようなことはしていません。

 そもそも、手帳の愛好家をメーカーや種類の垣根を越えてはじめて集めたのは私です。手帳のクリエイターを集めるイベントを初めてやったのも私なのです。その当時は、手帳の種類を問わずに集まるオフ会というのは、私ぐらいしかやっている人がいなかったのです。そしてかの人物も私の会によく来ていたのです。

 これは、当時を知っていて参加された方ならばよくご存じのことです。そしてその人物もその場にいたはずです。ですがなぜかX(Twitter)で「その時代をよく知らない」という発言をしています。嘘ですね。そしてその時代を知っていて私の手帳オフに参加していた方は、この件については、RTもいいねもしていません。そのことが、私が手帳クリエイターや愛好家を毀損していないという事実を雄弁に物語っていると思います。

 私が愛好家やクリエイターを毀損しているというような見解を持ってしまうのは、自らの党派を固めるための政治的手段だと思います。団体が割れたからと焦る気持ちはわからないではありません(いや、正確にはわからないです)。ですが、外敵を作って結束を固めようとするのは、政治家の常套手段です。そういうことに他人を利用しないでほしいものです。

 こういう言動をしている人物は、私の手帳音頭の披露はもちろん、私の家にドーナツを持って遊びに来たこともあります。『手帳と日本人』の八重洲ブックセンターでの講演会を企画してくれたのもこの人物です。
 さらに、シゴタノ大橋さんや倉下忠憲さんとのトークイベントなどに参加されるなど、非常に勉強熱心な人物です。

にもかかわらず、読解力がないのか、政治的印象操作のためなのか、そのような主張に終始しているのは、誠に残念としか言いようがありません。
 また、掲載紙の方からも「とくに失礼だとは感じなかった。取材時に舘神が話していたことが、よりくわしくかかれていた」という意見をうかがっています。この人物が言っていることとはちがうわけです。

 手帳クリエイターの方にも聞いてみたところ、とくに毀損されているという意見はありませんでした。結局この人物がしたいのは、より目立つ人間についておとしめることで自分を大きくみせることではないかと思われます(確信はなく、憶測の域を出ませんが)。
 いずれにせよ、残念なことです。僕の手帳オフに足繁く通っていた方々の1人がこんな風に成り果ててしまうとは。

 なお、この人物の名前は伏せたままにしておこうと思います。人前で特定の人物の名誉を汚すことは、好ましいことではないと、かのチェスターフィールド伯(18世紀のイギリスの政治家)も言っています。
 その人物がやったことは、このチェスターフィールド伯の言葉を知らなかったが故のことでしょう。今からでも調べて日本語訳のものを読むのが良いと思います。

 件のことで、私は激しい精神的なダメージを受けたことも記しておきます。
 誹謗中傷、揶揄をしているのはそちらではありませんかと言いたい。ともあれ、伝わるとも思っていませんがw

 それと、件のランキングからも距離を置くスタンスの手帳クリエイターのお話も聞きました。考えてみれば透明性が確保されず、マニアックなものだけが上位にくるランキングに参加するメリットは不明ではないかと推察します。最初期はともかく、現時点ではもうOut of dateなのではないかと。
 で、そのランク上位の手帳自体は別に悪くはないわけです。むしろ作り込まれていてすばらしい。ただ、それが上位に来ることの意味とはなにか。この点に無自覚なまま、あたかも公、何らかの代表のような存在感に無自覚なのは一種の問題でもあるわけで。
 ともあれ、この件はこれで終わりにします。
 私の残された人生の時間は、手帳というプロダクトを後世に伝えるにはどうすればいいのかを考えて実行することに使いたいと考えています。


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