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朝に寄せて

夏の早朝、朝焼けを眺めに海まで行くのが好きだった。

実家のすぐ裏には、陸奥湾の海岸が続いていた。
6時前ころ、小言とともにおばあちゃんが活動を始める。それよりも早く、忍び足で動き出し、玄関の重たい引き戸の鍵をあける。
まだ涼しい朝のわりには短いズボンとサンダルで、膝のあたりまで生えた雑草を飛び越えてゆく。片手にエメラルドのiPod nanoを握って、朝の眠たい光の中で咲くはまなすを横目に、しょっちゅう海へと駆けていた。

はらっぱと砂利道を通り越して海岸に着くと、コンクリートの堤防が湾の中まで伸びていて、先端のほうまで歩いてゆくと、目の前にはもう海しか見えない。
そこに座って、太陽が昇ってくるのを、いつもじっと待っていた。

絡まったイヤホンを指でほどきながら、ピコピコした電子音楽を耳に押し当てては、やっぱり風がうるさいやと思いつつ、ホイールを撫で、次の曲を探して待つ。

気がつけば、やがて空気はぼんやりと肌色に染まり、光が眠たい海岸を包む。さっき追い越してきた海岸の、青く沈黙していた松の葉は、空気を含んで複雑な色を放ちはじめる。
あかい太陽が、水平線の向こうから、ゆっくりと滲み出してくる。

イヤホンの電子音楽はもう終わっている。
生まれたばかりの陽光が、べたべたした潮風とともに、じっとりとわたしを浸(ひた)してゆくのがたまらなく思えた。
やわらかく流れるこの時間には、感覚以外に何もなかった。

生活を続けていると、幾つかのトラウマティックな風景に出会うことがあり、
この官能的なひかりの抱擁は、いまだ私を捉え、離さないでいる。


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 忙しさを終えてみると、気がつけば八月になっていて、厳しい暑さがすこしやわらぐ夜に、朝のことをやや大袈裟に思い出しながら、書きました。

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