能登半島の思い出
こんにちは、立山大好きなたてくろです。ご訪問ありがとうございます。
さて、今回は令和6年能登半島地震について耳に入ってくることが余りにも多くて、本来なら立山を題材に、と思っているですが、やっぱり少し地震と、能登半島について話しておきたくなりました。よろしくお付き合いください。
このnoteを書いているのは令和6年1月15日。地震からおよそ2週間経ちました。被災され近しい方を亡くされた皆様、心よりお悔やみ申し上げます。また、いまなお避難所生活をしておられる被災者の皆様、お見舞い申し上げます。1日も早い事態収束を願っています。
私は、と申しますと、住んでいる地域は震度5強の揺れに見舞われました。築50年のボロ屋は激しくゆらぶられ、幾つか棚の物が落ちましたが、幸いにも大した被害はありませんでした。そして、この2週間で地域や仕事の人と情報交換(という世間話)でいろいろ聞きましたが、本当にギリギリで大丈夫といえる地域で助かりました。隣の自治体は結構ひどい被害が出ているそうです。
前置きはこれくらいで、本題の能登半島について。地理的なこと、今回の震災のことは、改めてここて書くことはしません。既に報道やネットで様々な情報が出ていますので。ごく個人的な思い出話をしたいと思います。
能登巡検
たてくろは、実は地元富山大学の出身でして、しかも理学部地球科学科で学んでいました。教わった教授がテレビで解説しているのを見て、老けたなぁ、としみじみしています。(お互いさまなのですが)
在学中、また別の教授(故人)に誘われて講座の学生数人と一緒に能登半島をぐるっと、地質の話を聞き、現場を見ながら一周したことがあります。巡検と言われましたが、ほぼ観光旅行っぽいものだった気がします。行き先は覚えているだけですが以下の通りです。
富山県氷見土木事務所
氷見の某県道
見附島
禄剛埼灯台
千枚田
どこかの漁港、海岸、露頭
正直言って、記憶が曖昧です。写真の日付をみたら、年代がバレますね(笑)
富山県氷見土木事務所
氷見市の朝日丘の国道近くにある県の施設です。立体地形模型や地図をみて、氷見市の地滑り対策などについて説明を聞きました。たしか、ここで白いヘルメットを借りたと思います。
そして、どこかの作業トンネルに入りました。地下水を減らし、なるべく地滑りを起こさない対策と聞きました。
氷見の某県道
場所がわからないので県道かどうかも怪しい💦のですが、氷見の道路を見学しました。地滑りでアスファルトに亀裂が入っている様子をみました。徐々に地滑りが進行するので、舗装し直してもキリがない、とのお話でした。
見附島(能登の軍艦島)
当時は軍艦島といえば見附島しか知りませんでした。他にも軍艦島と呼ばれるところかあると知って、能登のという言葉をつけるようにしています。2022年と2023年の地震でも崩れていたそうですが、今回の地震では特に大きく崩れたようです。
禄剛埼灯台
能登半島の最奥の灯台。能登半島の先っぽです。禄剛埼(ろっこうさき)と読みます。所在地の地名から、狼煙の灯台とも呼ばれています。というか、当時はみんなそう言っていて、禄剛埼なんて聞いたこともないし、看板を見ても読めませんでした。
千枚田
近年はイルミネーションなどで華やかなイメージもあった観光スポットです。地形的に大きな水田を作れず、先人の方は大変な苦労をして耕作し、それが今に続いています。氷見と同じように地滑りしやすいのだとか。
あと、どこかの工事現場のような所で化石を探したり、ごく普通の車道脇の地層を観察したり、七輪の原材料にもなる珪藻土をカジったり。先生は食べられる、と言っていましたが、ジャリジャリな感じが口の中に広がり、味わうまでもなく飲み込みました。嘘か冗談だったのか、真意はわからぬままです。
一緒に回った学生のなかには国土交通省の技官になった人もいて、きっと彼は今頃すごく忙しいだろうなぁ、なんて思ったりします。
それでは、思い出話は尽きないので、この辺りで区切りたいと思います。今回の震災で通れなくなっていますが、学生時代よりも道路事情は良くなっているはずなので、落ち着いたらまた一周してみたいと思います。
同窓会も誰か企画してくれないかな。
(人任せスミマセン)
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