(小説)助けてください、当店自慢のふわふわもちもちホテルブレッドが絶滅のピンチです(再放送)
はじめに
これは再放送コンテンツです。アマガサおまとめ版再放送に際して、幕間となるこの話もぜひ読んでほしいということで掲載します。
本編を読んでいない方にも楽しめるよう描いていますが、本編を読んだあとだとより楽しめます。この機会にぜひどうぞ(→こちら)
碧空戦士アマガサ
短編集「雨宿りvol.1」より
「助けてください、当店自慢のふわふわもちもちホテルブレッドが絶滅のピンチです」
キャラクター:
パン屋の店員(日比谷、日下部、他)・・・オリジナル
大食らいの女・・・河崎晴香(本作のヒロイン)
「店長ヤバいです! もう次が!」
バイト長の日下部(クサカベ)さんが厨房に駆け込んできた。
「なっ……残りは!?」
「二斤です!」
──バカな。あれからたったの5分だぞ!?
私は瞠目し、目の前の作業台に拳を叩きつけた。そしてイートインコーナーを──そこに座る、ひとりの客を見遣る。
それは、長い黒髪をポニーテールにまとめた、目つきの悪い女だ。着ているものはシンプルで、ジーンズと、"アンビリーバブル"とカタカナ書きされたTシャツ。その体躯はモデルのようにしなやかだ。
「……あの身体のどこに……ッ!」
──あの身体のどこに、五斤もパンが入るんだ!?
彼女のいるテーブルの上に置かれているのは、スマートフォンと、なにやら古そうな扇子と、そして──回転寿司もかくやという勢いで積み上げられた空き皿たち。
……それらは全て、食パンが載っていたものだ。
「くそッ……! 山田くん! 焼き上がりまであと何分だ!?」
「あと3分です!」
厨房の奥から、担当社員の山田くんが声をあげた。と──
「すんませーん」
「は、はいっ!?」
例の女から声がかかる。反射的に日下部さんが声をあげ、レジへと歩み出た。
「これお願いします」
ドサッと置かれたのは残った二斤の食パン。日下部さんの顔が引きつっているのが厨房からでもわかる。
「お、お持ち帰り……でしょうか……?」
「いや、ここで食ってく。水ください」
「かしこまりました……」
──日下部さん、誘導失敗!
私は頭を抱える。親会社の方針でお客様の買い物を断ることはできない! しかしこのままではパンが! 当店の自慢のふわふわもちもちスーパーホテルブレッドが壊滅してしまう!
例の女が財布を取り出してお金を取り出す。日下部さんには事前に、不自然にならない程度に引き延ばすよう言ってある(クレーマーになられたら厄介だからな!)。あと少し、あと少しだ──そのとき!
Pipipipipipipipi!!
パン窯のタイマーが鳴く! 焼きあがりの合図だ!
「店長! 焼けました!」
「でかした!」
私は即座に両手にミトンを装着し、山田くんと共に窯の中の焼き型を取り出す。その数は3つ。慌てて仕込んだから数は少ないが──つなぎにはなる!
私はそれを逆さまにして──作業台に叩きつける!
バンッと激しい音が響く。ゆっくりと焼き型を引き上げると、当店の自慢のふわふわもちもちスーパーホテルブレッド(焼きたて)がその姿を現した。
芳醇なパンの香りが我々の鼻をくすぐる。嗅ぎ慣れた私でさえもこの瞬間はほっこりしてしまう、そんな魔性の香りだ。
私と山田くんが手分けしてふわふわもちもちスーパーホテルブレッドを型から取り出す間に、例の女は会計を終わらせていた。日下部さんとの会話が私の耳に届く。
「あ、何度もスンマセン。カットお願いしていいですか?」
「か、かしこまりました……」
「3枚切りでお願いします」
──なんでそんなに分厚くするんだ!? 確かに厚い方が味わい深いが、もっと薄切りにしてたくさん齧る方が満足感は高いんじゃないか!?
カットを始めた日下部さんに視線をやりつつ、私は内心悲鳴をあげた。と──横にいた山田くんが、悲鳴をあげる。
「店長、大変です!」
「どうした山田くん!?」
「生地がもうありません!」
「なっ──!?」
しまった、完全に失念していた。
いつもなら客足を見つつ、昼過ぎに追加で生地を作るのだが──2時間ほど前に発生したガス爆発だかなんだかで客足がなくなったため、今日は追加していなかったのだ!
「し、しまった……! 山田くん、とにかく作るぞ!」
「は、はいっ!」
私は小麦の袋を抱え上げ、製生地機にどっさりと注いだ。そして山田くんと協力し、材料を入れていく。
ガス爆発の影響はもうひと段落し、客足もそれなりに戻ってきている。よしんば例の女があの二斤で満足して帰ったとしても、他のお客様に渡るパンがなくなってしまう!
「日下部さん! 今バイトで手が空いている者は!?」
製生地機の操作を山田くんに託し、私はカットを終えたばかりの日下部さんに声をかける。
「いますよ! 花田くん、ちょっと店長手伝って!」
日下部さんはそれだけ言い残し、水の入ったピッチャーと3枚切りの食パンを手に例の女のテーブルへと駆けていった。入れ替わるように、新人バイトの花田くん(19歳大学生)が顔を出す。
「え、厨房ですか?」
「よくきた花田くん! 手伝ってくれ! あっ! 村田さん! 君もちょっと手伝って! 山田くん、ホイロの設定温度確認!」
私は慌ただしく指示を出してゆく。例の女は一斤目に手をつけたところだ。その勢いは最初から微塵も衰えておらず、おそらく5分もすれば一斤分食べ終わるだろう。つまり先ほど買った分がなくなるまで、多めに見積もって残り10分だ。
「店長……あのヒトまだ食べる気満々です……」
げんなりした様子で戻ってきたのは、日下部さんだった。
「……”ここのパン、マジでうまいっすね。なんか食欲止まんなくて”とか笑ってました……」
スタッフの間には絶望感すら漂いはじめた。生地を作り、寝かさずにホイロに突っ込んだとして発酵が完了するまで1時間はかかる。注文から会計まで含めて、一斤で20分稼げるとして──時間的にはギリギリだ。
「ぐぬぬっ……親会社の指示さえなければさっさと帰らせて──」
私はそこまで言いかけて、ふと言葉を止めた。
──……本当に、それでいいのだろうか。
──私は……この忙しさを、知っている。
"らららんど"開業から、10年。始めの頃は毎日のように、こうしてパンが足りないと慌てていたではないか。ルーティン化された日々で、俺はなにかを見失っていたのではないか?
「上等だ……」
「て、店長……!?」
山田くんの戸惑いの声など聞こえてやしない。
「行くぞみんな、ここが正念場だ! この私・日比谷利伸の本気を見せてやる!」
私は目を爛々と輝かせ、かつて最も忙しかった頃に編み出した裏技の数々を駆使し、スタッフたちと協力し、できる限りの時短と共に当店自慢のふわふわもちもちスーパーホテルブレッドを作り上げてゆく。
「山田くん! 火力はもう10度あげてもイケる!」
「はい!」
「花田くんは型を洗って!」
「はい!」
「村田さんはこれを袋詰めしてください!」
「はーい!」
私たちは怒涛の効率で厨房をさばいていく。そうして──例の女の声が、レジから聞こえてきた。
「すんませーん。これ、焼きたてですか?」
「は、はい! 焼きたてです!」
「んじゃいただこうかな」
「正気ですか……」
焼きたて三斤が持って行かれた。焼き上がりまでは残り30分と表示されている。計算上は間に合う時間だ!
「これなら……間に合うぞ……!」
私の言葉に、スタッフたちが息をついた。流石にここから十斤もあれば大丈夫だろう。
──やりきった。やりきったぞ。
私は拳を握りしめ──視界の片隅で、新たにイートインスペースに人がきたのを捉えた。
「…………ん?」
それは、二人の男だった。ひとりは派手なアロハシャツを着たガタイの良い男。もうひとりは、白いレインコートのようなものを羽織った細い男だ。
二人は例の女の方へと歩いていく。
「…………おお?」
「店長、あれ、もしかしてお連れさんですかね?」
日下部さんの言葉に、スタッフたち全員の視線がその二人に向く。男二人が目の前で立ち止まると、例の女は食べるのをやめて顔をあげる。
「よう。遅かったじゃねーか」
「ごめんごめん。タキくんにお金借りようとしたら、持ってなくて」
「いやぁ、ATMが見つからなかったんス……っていうか姐さん、どんだけ食ってんすか!? 寿司屋みたいになってますけど!?」
「いやぁ、なんか腹減っちまってなぁ」
「あはは、リュウモンを使った影響かもね」
などなど、彼女たちは和やかに会話している。その中においても、男二人は椅子に座らない。その様子を物陰から見て、日下部さんが声をあげる。
「店長、これって!」
「ああ、ああ! 帰る流れだな……!?」
そうこうするうちに、例の女が立ち上がる。もちろん皿は空だ。
──よし、これは帰るやつだ!
──勝った! 十斤のパンは守られた!
私とスタッフたちがホッと胸をなでおろした、その時だった。
「美味しそうだったし俺も食べていこうかな」
「……………………え?」
白いレインコートの男の言葉に、私の口から声が溢れる。アロハシャツの男も「え、じゃあ俺も」などと言い出して、二人はレジへと向き直った。
──待って、待ってくれ!
「んじゃあ私も追加で食おうかな」
私の内心の悲鳴など御構い無しに、彼らはレジへと歩いてくる。
そして、げっそりした表情の日下部さんに向かって、白いレインコートの男はこう言い放った。
「僕も食パンください」
そして、すごく良い(断りづらい)笑顔で、言葉を続けた。
「──三斤、2枚切りで」
(おわり)
大学生の頃パン屋さんでバイトをしていました。ミニクロワッサンをひたすら使って焼いて作って焼いて……とする仕事だったんですが、たまに異常な量のまとめ買いするお客さんがいるとこんな感じでてんてこ舞いしてました。忙しすぎて熱々の鉄板を素手で掴んじゃったり、腕の上に載せちゃったり(今でも跡が残っている)。自分がパンをまとめ買いするときは事前に声掛けしておこうと胸に誓っています。
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