ずぼらから教訓を引き出してみた
我が家はなかなかにずぼらである。
ムスコの体操着を入れる袋は、学年・組・氏名を書くようになっている。これによると、ムスコは一年生だ。
体操着には学年・組・姓を書くようになっている。これによると、ムスコは四年生だ。
しかしてその実態は六年生なのである。
書き直せと言われるかもしれない。それはそうだ。しかしなかなか面倒なのだ。今書いてある文字はマジックだ。消えない。消えない文字を修正しなければならない。すると消し方にもセンスが出るような気がするのだ。
取り消し線を引くのか。それならそれは単線なのか二重線なのかもっと数多い線なのか。×印や、斜線で消すという方法もあるだろう。あるいは塗りつぶしもできるかもしれない。
その上で、新しい文字を書かなければならない。どこに書いたらいいのか。上か、下か、右か左か真ん中か。大きさはどうするのか。
もともとの記載を活かして、誤魔化す手もあるだろう。「1」だったら、「4」に上書き修正することも可能だ。ちょっと厳しいが「2」を「3」にすることもできる。
ことほど左様に、選択肢は数限りない。
膨大な選択肢を前にすると、人は選べなくなってしまうという。カミさんも私も、無数の選択肢を突きつけられて選べない。動けなくなってしまっているのだ。六年生であるはずなのに、四年生かつ一年生というよく分からない状況になるのもやむを得ないだろう。
さてこうしてここまで、書き直さない言い訳をつらつら述べてまいりました。オイオイと言われるであろうとは分かっております。しかし改めて振り返ってみて思うのです。新しいの買おうぜと。でもあと半年ちょっとで卒業です。いったいどうしたらよいのでしょう。
♯どうでもいいか
本日のまとめ:
枝葉末節に囚われないことが大切です。物事をシンプルに見ることで、問題は問題ではなくなってしまうのです。
併せて、物事にはタイミングがあることもお伝えしました。もう間に合わない。そんなことにならないよう、あらかじめ考え、準備できているとよいですね。
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