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息子を John と呼んでみたい


突然ですが、ワタクシ大人のライティングサークル、放課後ライティング倶楽部に所属しております。


そこでいただくお題がありまして。最近、週一で書いている記事はいただいたテーマにギリギリかすらせて沿って書いてます。


今回のテーマは「読書」ということで、最近読んだ本がこちら。
 ↓↓


やさしさが連鎖してます。
出会った人が分けてくれたもの。誰かの役に立ちたいと思うこと。人によっては制約とみるかもしれないそれが、道を示してくれたこと。


私も、子どもに何か連鎖させたいと思い立ちました。




そうだ、息子をJohnと呼んでみよう。


英語的な何かを伝えるのです。そうすれば世界が広がることでしょう。ひいては、日本のことも新しい目で見ることができるのです。これはいい。


しかし呼んでみたがしっくりこない。息子は自分のことだと思ってもいないので反応もない。私はさみしい。


Johnでなくてもいいので、何か欧米っぽい名前をいくつか頭に浮かべてみます。しかしポールもアレックスもジョージも、ボブもマーリーもしっくりこない。いったい何が原因なのだろう。


息子の顔を眺めつつ、思いつくままにつぶやく私。
マイケル、ウィリアム、ヘンリー…


不穏な気配を感じる息子。
オリバー、ジェイコブ、レオ…


なおも顔を眺めるワタシ。
クリストファー、ジョナサン、マシュー…


やはり、顔なのか...…テルマエ・ロマエ的に言うと平たい顔族たる我々には、ジェイムスもディーンも似合わないのだろうか。


ではアジアだ。これから熱いのはインドだろう。


インドの名前を調べはじめます。
アルヤン、クリシュナ、ニール…


いやだめだ。
インドっぽい名前も、テルマエ・ロマエ風に言うとうっすい顔族たる我々には似合わない気がする。


この子にはいったい、どんな名前なら似合うのだろう……



思いにふける私、ただようコーヒーの香り、家族の視線。

週末の夜は更けてゆく…




追記

全世界のアジア人顔なJohnの皆様、しっくりこないのは私のドメスティックな感覚ゆえです申し訳ございません🙇‍♂️

太郎がJohnに見えるようにトレーニングいたします🏋️

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