機械設計という仕事

最近、自分の仕事について見つめ直す時間が増えた。

今私は心の休養中というやつで、休職しながらメンタルクリニックに通院している。
寝て食べる以外何もせずにぼーっとする期間を経て、徐々に趣味など好きなことをしながら過ごすようになって。

もう働きたくねぇなぁ、どうやったら働かずに生きていけるだろうかなぁと考えて、考えて。

ふと気づくに、私の仕事は人が働かなくてすむようにするためのものではなかったかと。


私の仕事は機械設計だ。
細かいことは延べないが、人が楽をするための機械を作っている。

産業革命以降、人類はあらゆるところで機械化を進めてきた。
生きるのに必要な食物も、住居も、衣類も、少ない人数で確保できるようになって、余剰のカロリーは学問・文化の発展や多様な選択肢の創出につながった。
私がしばらく何もせず休んでいられるのも機械化の恩恵といえるだろう。

しかし、機械化・自動化は人の失業と表裏一体でもある。

「10人で10の仕事」をしていたものは「1人と1台で10の仕事」に置き換えられ、残りの9人は職と給与を失う。なぜなら「100の仕事」を生み出したとしても需要に見合わないし、同じ10の仕事なら安い方が売れるから。

もちろんこれはわかりやすくした極端な例だ。1台は部品の製造や整備など別の仕事を作るし、9人を即解雇なんてしたら会社は世間から大バッシングを受ける。

ただ事実として、私は機械を設計するときに「10人と10台でできる仕事量」ではなく、「同じ仕事をするのにかかる費用」を計算してきた。今いる人の首を切ったりはしていないけれど、未来の雇用を減らすことには繋がっている。
私の仕事はそういうものだ。



就職した当初私はただの機械オタク(私の指導をしてくれた先輩から言われた)で、設計たーのしーい!という気持ちで本当に病気になる前まで働いていたのだけれど。
振り返ってみると、これでいいのだろうかと。

いや、本当のことを言えばマジのマジで働きたくないし、まだ不労収入を得る方法を探している最中なんだけど。

でもどうせ何かで働かなければならないなら、

人手が足りず給与に見合わない重労働をしている人たちを助けるとか、
あるいはフードロスと飢餓で表される食糧の不均等をなくすとか、
あるいは障害を持つ人たちの行動範囲を広げるとか。

機械設計はそういうことができる分野のはずで。

そういう、人の役に立つことをしたいなと思う昨今。

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