見出し画像

動物実験と学問の自由

(4000字ぐらい)

2020年は「学問の自由」をめぐる議論が活発な年だったと思う。その要因はもちろん、菅首相による日本学術会議任命拒否騒動にあるだろう。

この議論、あんまりちゃんと追えていないのだが、「任命拒否が学問の自由の侵害に当たるか否か」は論点ではないらしい。↓の記事などを参照。確かに、任命拒否された宇野先生などは、以前にも増して研究活動に勤しんでいるし、日本学術会議にいなくても研究はできる。「任命拒否=学問の自由の侵害」と捉えるのは筋が悪そうだ。

問題は「学問の自由の侵害か否か」ではなく、「内閣総理大臣にその権限があるか否か」らしい。

「学問の自由は論点ではない」とするものについては、こちら↓なども。

で、結局「日本学術会議任命拒否問題」と「学問の自由」には、そんなに積極的な関連がないとのこと。なのだが、やっぱり今年はこの話題で盛り上がったなと思う。多くの人が「学問の自由」に引きつけていろんなことを論じていた。
政府による大学・研究組織への介入は、それだけインパクトの大きい出来事だったのだと思う。僕も大変印象に残っている。

* * *

そんなわけで、今年は「学問の自由」に関わる議論をたくさん見かけた。で、その中でもとりわけ印象に残っているのがあって、それすなわち、一切の「政府による大学組織への介入」の拒否する主張である。つまり、国家や政府はいかなる形であろうと、大学の研究に立ち入ることが正当化されず、ひとたびそれが行われれてしまえば、それはもう「学問の自由」の侵害で、憲法違反だというものだ。それなりに理解はできる。

こうした主張は、当然だが、学問を「守りたい」という立場の人からなされる。特に今回は、任命拒否を受けた6人全員が文系(かつ政府批判にも少なからず関わっている)ということもあり、「政府の圧力から文系学問を守るべし」との論陣を張っている人も見かけた。とりわけ文系というものは、世間から「役に立たない」「廃止して全部科学系に置き換えろ」と言われがちである。そうしたことも相俟って、「介入」に対しては敏感であると思う。

こうした「文系学問用語」と同時によく言われることとして、研究や学問というのは第一に「知的好奇心探求の営み」であって、必ずしも役に立つ・立たないの尺度で測れるものではない、ということがある。これは何も文系だけでなく、理系でも天文学の人などから言われるようだ。「おまえのやってること社会の役に立たんやろ」という主張に反対する形で、これが言われる。
僕も文系院生なので、こうした論陣を張ってくれる人の存在はありがたい。のだが、その反面、税金を使って研究している以上、やっぱり社会にとっての益というのも、それなりに重要なのではないかとも思う。

* * *

で、実はここまで前置きで、本題はここから(なんと長い前置きだ)。

現在、ピーター・シンガー『動物の解放 改訂版』を読んでいる。タイトルの通り、シンガーは「動物の解放」を主張していて、動物に行われる様々な残虐行為に反対している。本日2章まで読んだ。2章のタイトルは「研究の道具」というもので、動物実験について扱っている。

シンガーは食肉に反対するぐらいなので、当然動物実験についても否定的だ。この2章では、これまで英米でどれほど残虐な動物実験が行われてきたか、そしてそれらが、動物に対してどれほど無益で無意味な苦痛をもたらしてきたかを紹介している。そこでの動物とは主に、サル・イヌ・ウサギ・マウスなどなど。

重要なのは、シンガーがすべての動物実験に反対しているわけではないということである。「動物の解放」というタイトルなので、過激なことばかり書いているのかと思えば、そうではない。彼の主張は相当穏当なものである。どういうものかというと、「動物実験が人間の利益になるならまだいいかもしれないが、実際は、全く無意味な動物実験が繰り返されている。そういうのはもうやめましょう」という主張なのだ。

そんなわけでこの2章では、「無意味な実験」の例がたくさん挙げられている。軍事研究から化粧品の研究まで、幅広く扱われているのだが、特にすごいなと思ったのは、サルの母性剥奪実験だ。サルの「母親」をかたどったマシン(モンスター)でひたすら子ザルに危害を加え、その反応を見るというもの。

 モンスターの最初のものは布製の、サルの母親をかたどった人形で、これはスケジュールにしたがって、あるいは必要に応じて、高圧の圧縮空気を噴出するようにしてあった。その一吹きは協力で、サルの皮膚を体からはぎとらんばかりであった。赤ん坊のサルは何をしたであろうか? それはますます強く「母親」にしがみついただけであった。なぜならおびえた幼いサルは、いかなる犠牲を払っても、母親にしがみつくものだからである。私たちは何ら精神病理的な過程を引き起こすことができなかった。
 しかし、私たちはあきらめなかった。私たちは別の母親模型モンスターをつくったが、これは非常に激しく揺れるので赤ん坊の頭と歯ががちがち音を立てるほどである。赤ん坊はどれもみんなますます強く母親模型にしがみつく。私たちがつくった三番目のモンスターは体の中にワイヤーのフレームが埋め込まれていて、これが前方へばね仕掛けで飛び出して、サルの赤ん坊を腹面から放り出すものであった。赤ん坊は床から起き上がって、フレームが布製の体の中にもどるのを待ち、母親模型に再びしがみつくのである。最後に私たちは、ヤマアラシ型の「母親」をつくった。スイッチを入れると、この母親模型は指令によって体の腹面全体に鋭い真ちゅう製のスパイクをとび出させるのである。赤ん坊はとがったスパイクにひるむが、それがひっこむのをただじっと待ち、母親模型のところにもどってしがみつく。
<ピーター・シンガー、戸田清訳(2011)『動物の解放 改訂版』人文書院、p58(もとはハーロウとスウォミの論文だが、孫引きで勘弁。強調は僕。)>

計4体の「母ザル型モンスター」が登場し、徹底的に子ザルをいじめ抜いたわけだが、そこから得られた結論は何であるか? それすなわち、「赤ん坊サルは最後まで母親にしがみつこうとする」というものである。それしか傷ついた子ザルにとって頼れる存在はいないのだから当たり前だ。これは実験をしなくてもある程度わかることであり、そして実験で確かめたところで、この情報が人間にとって何の役に立つのか不明である。シンガーはそう結論づけている。

他にもいろいろな実験が紹介されているが、共通する特徴が見受けられる。それは研究の建前として「人間の益になる」ことが掲げられていたとしても、実際は「研究者の好奇心」でなされている場合が多そうだということである。シンガーは他の研究にも言及して、次のように述べている。

彼ら〔動物実験者〕の態度は単純である。これは一つの種の動物ではなされているが、別の種の動物ではまだやっていない、だからやってみよう、というものだ(p61)

先ほどの「母ザル模型」研究では4パターンの虐待が試されたが、それに連なる研究で出された結論は、「意外な結果が得られるまで、さらに多くの研究が必要である」というものだったらしい。今どう役に立つかとか、将来的に本当に有益な研究なのかということは、あまり重視されていなかったようだ。

他にも「たばこの煙が生体に与える影響」と称して、多くの動物が有害な煙に晒されたりした。のだが、実際の医療の現場で用いられるのは、サルやイヌの実験結果ではなく、シンプルに人間の臨床的観察で得られたデータであるらしい。そんな具合でシンガーは、本当に人間の益になっているかも分からないままに、苦痛に満ちた動物実験が行われていることを指摘している。この第2章は大変読み応えがあった。

* * *

ここまでの話は主に1950年〜80年ぐらいの英米の議論で、現在の日本の研究などがどうなっているかはよくわからない。僕の友人に大学院の研究でマウスを扱っている人がいる。そうした人が「動物実験反対」と聞いたときに、何を思うのかは気になるところである。

ただ、ここで言いたいのは、一口に「動物実験反対」といっても、それらすべてを否定するわけではないということ。動物実験界隈には、今回の「母性剥奪実験」のような、闇の世界・狂気の世界が広がっていたりする。まずはそこへの反対から始めていますよ、ということ。

そして同時に、今日気になっていたのは、こうした無意味な動物実験が「学問の自由」の名の下で保護されうるか? ということ。これはある意味、社会にとっては無益であるが、「学問の自由」の主張者が擁護するような「知的好奇心探求の営み」ではある、と思う。もちろん、人体実験が禁止されている時点で「学問の自由」が絶対でないことは明らかなのだが、「動物実験は非倫理的だ」との主張からの学問への介入に、「学問の自由」主張者はなんと答えるのか、などは思った。

ちなみに、学問の自由と動物実験について論じたものは、ちょっと調べた限りではあんまり見つからなかった。あったのものでは↓など。

動物実験ではなく、生命倫理に関わるものならそれなりにある。↓は生命倫理と学問の自由の話。これも今回取り上げたかったけど、だいぶ長くなってしまったので、次回ということで。

noteには「ファルアップロード」という機能があるのだが、これを使っている人は見たことがない。


「法」の領域が「研究」の領域に入れるのかというのは、僕の関心事の1つである。例えば、不道徳な研究(人間とサルのキメラの作成など)を法によって規制することは正当化されるか、など。この辺については、思い立ったときにじゃかじゃかと書いてみたい。

<参考など>
ピーター・シンガー著、戸田清訳(2011)『動物の解放 改訂版』人文書院

元気があるときに追加します。


スクリーンショット 2020-12-21 21.28.16

これは本当に偶然だが、今日は学問の自由で書いてみようと思ったら、ちょうど大学にビラが出ていた。軍事研究の話だけど。