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NJU歌謡祭2022:みとリゼ『Tell Your World』に囚われてしまった話

※ サムネはNJU歌謡祭や『Tell Your World』とは関係ないのだけど、歌謡祭はスクショNGなので苦肉の策でこちらを拝借した。何故このサムネなのかは後述する。

あけましておめでとうございます。
最近ほとんどnoteを書いてなかったのだけど、なぜかといえば、端的にいうとめちゃくちゃ忙しいからである。
そういう意味で今も〆切に追われいるんだけど、どうしても吐き出さないと次に行けないものがあるんでここに吐き出す。関係者の皆さんすいません。

何の話かというと、NJU歌謡祭2022、2日目のみとリゼ(月ノ美兎
&リゼ・ヘルエスタ)の『Tell Your World』に圧倒されたことである。

(1:39:12〜)

「初音ミクの代表曲をVTuberが/にじさんじを代表する2人が歌った」
「ハモリが美しい」
「ダンスがプロセカの完コピで凄い」

というのは割とTwitterなんかで見かけた声で、それはそのとおりなんだけど、その言葉だけで語り尽くせない色々がめっちゃ乗っかってる気がしている(他の多くの人も言語化してないだけで同じように思ってる気がする)ので、どうしても語りたくなってしまった。
(ちなみに、2人のハモリが美しいことは、2021年の委員長の誕生日ライブで2人が歌った『チャイナアドバイス』で証明済みである。見てない人はこちらも是非)

以下は僕の超個人的な解釈で、絶対これが正しいと主張したいわけではないことは申し添えておく。

『Tell Your World』 本来の意味

そもそも『Tell Your World』(通称:テルユア)とはどういう歌なのか。
知っている方も多いと思うが、元々はGoogleがChromeのCM曲として、かのkz氏に依頼し制作された、初音ミクの代表曲の1つである。

この曲は、僕個人の解釈もりもりだけど、端的に言えばボカロ賛歌であり、ひいてはインターネット賛歌、そしてクリエイター賛歌である。

ボカロ登場以前は、音楽方面ではプロとアマチュアの境目がとてもはっきりしていた。
世間の多数の人に聴いてもらえる音楽はひと握りのプロが作ったものだけであり、アマチュアが作った音楽は、どんなにいい曲でも、街の小さなライブハウスや学校の文化祭で聴いてもらうのがせいぜいだった。

それが、ボカロの登場で大きく変革し、とても気軽に音楽を作って公開して皆に聴いてもらえるようになった。アマチュアでも、曲を作って初音ミクに歌わせて、動画サイト(当時はニコニコ)にアップロードしたら、ともすれば万を超える人に簡単に聴いてもらえるようになったのだ。
それだけに留まらず、曲に感動した人が自分で歌ってみたり、イラストを描いてみたり動画をつけてみたり踊ってみたり、と、音楽以外のクリエイターも、その曲を使って気軽に自分の作品を作れるようになった。クリエイター同士がネットを通じて簡単にコラボできるようになったのである。今となってはもはや当たり前の話だが。
そのへん、テルユアの

たくさんの点は線になって
遠く彼方へと響く

いくつもの線は円になって
全て繋げてく どこにだって

という歌詞がまさに象徴的だ。
こうして、ボカロとインターネットが世界を変えたし、それによって、プロとアマチュアの境目はとても曖昧になった。
テルユアでは、最初登場する「君」はずっと

君に伝えたい言葉
君に届けたい音が

と、作品を届けられる側(=ユーザー)だったのだが、ラスサビで

教えてよ 君だけの世界

ときて、以降は

君が伝えたい言葉
君が届けたい音は

と、「君」が自分の世界を伝える側(=クリエイター)になる。
インターネットによって、ユーザーがいつでもクリエイターの側に回れる世界になったのである。

みとリゼの『Tell Your World』

さて、それを踏まえてみとリゼのテルユアなんだけど、この「みとリゼ」が歌うことで上の文脈に見事に乗っかる、あるいは2人が意図的に乗せている気がするのだ。

僕はこの2人のデュエットで、2つの点が凄く気になった。

1. 冒頭の振り付けのアレンジ

とリゼ様自身が振り返っている冒頭の振り付けだが、実はここの振り付けは2人のオリジナルである。
歌謡祭の放送中に話されたとおり、ダンスはプロセカことゲーム『プロジェクトセカイ』中の振り付けをフルカバーしているのだが、オリジナルは初音ミクのソロで、この箇所は単に客席の側に振り返るだけになっている。

それをみとリゼが2人で踊るにあたって「月ノ美兎がリゼ・ヘルエスタの手を取る」演出にしたのは、当然何かしらの意図があったはずである。

2. Cメロの歌詞割り

何度聴いても胸を打つのがCメロで、しかも(上で引用したラスサビ含め)歌詞割りがかなり意図を感じるものになっている。

[リゼ] 奏でていた 変わらない日々を疑わずに
[リゼ] 朝は誰かがくれるものだと思ってた
[美兎] 一瞬でも信じた音 景色を揺らすの
[2人] 教えてよ 君だけの世界

リゼ様が歌った最初の2行、元々の解釈は(あくまで僕個人の解釈だけど)ボカロやインターネットが世界を変える前、アマチュアは誰に聴いてもらえるわけでもなく、あくまで自己満足で曲を作るしかなくて、自分が世界中に曲を届けることなど考えもしなかった……ということだろう、と思う。
端的に言えば、今まで曲を受け取るユーザーにしかなれなかった者の言葉である。

そして次の、委員長が歌った「一瞬でも信じた音 景色を揺らすの」 は、「音」が「景色を揺らす」ことを知っている者、すなわちクリエイター視点の言葉だ。

そして最後の「教えてよ 君だけの世界」は、ここまでの流れ、そして、ここを境に「君」がユーザーからクリエイターに変わることを考えると、クリエイターが「君」に「こっちにおいでよ」と誘っていると解釈できるのである。

……というあたりを、リゼ様のオリ曲『ハッピーエンドをはじめから』や3Dお披露目の時の手紙の内容を踏まえて聴くと、とんでもなく重い文脈が乗る。

みととみとチルのテルユア

ここまで書けばもう明らかだと思うのだが、リゼ様がいわゆる「みとチル」、つまり月ノ美兎に憧れてVTuberになった人物だという文脈が、かなり意識してこの曲に込められている気がするのだ。
リゼ様はずっと「毎日を何とはなしに過ごしていた」(3Dお披露目の手紙から引用)が、そこへ委員長が迎えに来て、リゼ様の手を引いたのだ。
そしてリゼ様もにじさんじに入り、ライバーとして「言葉を伝え」る側になった。2つの「点が線になっ」たのである。

ここまで来るとようやくサムネの意味が説明できる。サムネには、ぐやもこ氏による『誰も知らない、皇女の物語』というMMD作品のスクショを使わせて頂いた。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm38039157

毎日を退屈しながら部屋にこもっていた皇女の元に委員長が現れ、皇女の手を引いて外へ連れ出す。
そして皇女自身もライバーになり、他のまだ見ぬ未来のライバーを導く存在となる……という、リゼ様の実話を象徴的な映像で描いた作品である。

みとリゼのテルユアは、実はこのMMD作品と同じ物語を描いている……というか、元のテルユアに2人の物語をオーバーラップさせているのでは、と感じるのだ。
元のテルユアに、初音ミクをVTuberが歌うという文脈、更にみとリゼの2人の物語まで乗っかって、とんでもない重さになっているように思う。

※ ちなみに上記のMMD作品は「MMD杯ZERO3」の参加作品なのだが、このときのMMD杯にはみとリゼの2人とやたら仲の良い名取さながゲスト選考員として参加しており、この作品は名取の選考作の1つになっている。
サムネに使った場面は名取が「だいすきです」と評したシーンである。

にじさんじのテルユア

このへんで関係性オタクとしてはだいぶオーバーキルなのだけど、そもそもこの話ってみとリゼに限らない話で、リゼ様以外にもみとチルは沢山いるし、別に委員長起点でなくとも、にじさんじライバーに憧れてにじさんじに入った人は既に多数いる。
何なら、にじさんじでは「〇〇に憧れてライバーになった」関係でいうと既に第3世代が当たり前になっている。ちょっと面白いところだと、委員長からの舞元(「みとらじ」におたよりを送っていたリスナー)からの四季凪アキラ(「舞元力一」におたよりを送っていたリスナー) なんてのが最近話題になったし、委員長以外では、でろーんがきっかけでにじさんじに入った戌亥とこが現在エリーラ他多数がライバーとなるきっかけになったりしている。

こうして、にじさんじでは「線は円になって」いこうとしているし、そんなにじさんじの姿を歌にしたのが、テルユアの作者でもあるkzさん作の『Wonder Neverland』で、特に象徴的なのが、公式音源ではまさにみとリゼと、更に卯月コウ(やはりみとチルの1人)を加えた3人で歌った「バラバラのパレードは続く」という歌詞であったりするのだ。

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