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「遺骨眠る土砂を辺野古に使わせない!」具志堅隆松さん講演会

 8月22日、PLP会館で行われた「遺骨眠る土砂を辺野古に使わせない!STOP!辺野古新基地建設!大阪アクション7周年集会」に参加した。メインは沖縄の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表で、沖縄島南部の遺骨が混じる土砂を辺野古の埋め立てに使わせないハンガーストライキを闘った、具志堅隆松さんの講演である。
コロナ禍での「緊急事態宣言」が大阪でも沖縄でも適用されている中での集会ということで、司会の方はPCR検査キットを使って「陰性」を確認してからの参加したとのこと。「大阪アクション7周年」でもあるので、本集会は「総会」的な意味合いを持つ。はじめにこの1年間の行動振り返りと会計報告が行われ、団体へのカンパが呼びかけられた。
 つづいて賛同団体からのあいさつ、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」は2004年8月から17年間行動してきたことと、三線と歌「童神(わらびがみ)」の披露。「沖縄意見広告運動」から12期の掲載が無事終了したが「いつオリンピックの公告が入るか分からない」という理由から、朝日新聞が掲載を嫌がったことの報告があり、13期は若者にもっと伝えていく必要があると訴えられた。「辺野古派遣サポート大阪基金」からは、コロナ禍で現地への派遣や調査もままならぬ中、カヌー教室に取り組んでいることが報告された。
 いよいよ伊丹空港から駆け付けたばかりの、具志堅さんの講演である。具志堅さんを紹介した人は、沖縄にいる時「うるま伝道所」での礼拝の後、具志堅さんは”ゆんたく”もせず、すぐにどこかに行ってしまう。牧師に「何をしている人ですか」と聞いたら、遺骨収集をしているのだと聞いたそうな。
 具志堅さんは用意した写真をプロジェクターで映して話をされた。普段、遺骨収集時に写真は撮影しないのだが、2009年に那覇市内において「緊急雇用対策事業」で遺骨収集が行われたことがあり、その事業について写真が残っているということだ。掘る深さは地表から1m、「不発弾」も出て来るので、事前に磁気探査を行うそうだ。土の中から砲弾や銃弾、手榴弾の破片が出てくる、それは同じ場所で遠方からの攻撃から接近戦まで、ありとあらゆる戦闘が行われたことを示している。まさに沖縄戦は「鉄の暴風」であったのだ。60㎜の迫撃砲弾の破片があれば、その周辺に遺骨がある。また日本軍は「陶器」の手榴弾も使っており、金属供出をしても金属が足らず「戦争を続けることが無理」だと分かっても、戦争を止めることが出来なかったということを、火薬を抜いた陶器の手榴弾を見せながら話をしているということであった。また、対戦車自爆攻撃用の爆雷…これを背負って戦車に飛び込むのは学生だ!…が見つかったりもしている。
 遺骨はバラバラの状態で出てくる、体が粉砕され、飛んでいる…手や足だけが飛ばされていたり、上半身がなかったり…タコつぼの中で命を落とし、倒れきらない恰好で出てくる遺骨は、銃弾を30発ぐらい撃っていたことが分かる。埋葬されたような人の遺骨は、腹の上で手が組まれていて「千人針」に縫い込まれた五銭銅貨がいっしょに出てきている。タコつぼの中に遺体を押し込め、オイルを流して焼かれた遺骨は黒く変色している。革のベルトが残っているが、これはオイルに浸されていたからで、普通なら腐ってしまうのだそうな。遺骨を掘る作業をした方の中には、「本土」から死ぬために沖縄に来たという人もいて、遺骨と向き合っている中「ここで死んだ人は死にたくて死んだわけではない…自分は家族の下へ帰る、生きていればできる」と思うようになったそうだ。
具志堅さんの話は、沖縄島南部から土砂を搬出する問題についての説明に移った。軟弱地盤の存在に伴う設計変更で、大量の土砂が必要になったため、埋め立て土砂を県内7カ所から取ることになった。そのうち南部から挙げられているのが、糸満市と八重瀬町である。沖縄戦犠牲者の遺族はほとんど遺骨の収集ができていないので、「魂魄の塔」周辺でみんな手を合わせていた。その周辺で遺骨収集をやっているのだが、そこに磁気探査が入って、採石場の計画があることが判明した。採石業者に、そこを開発しないで欲しい、仕事をしないで欲しいとは言えない、問題を作ったのは国の政策だと具志堅さんは思ったそうだ。
 そこで沖縄防衛局に行って、現地視察の要請をしたら「まだ決まったことではない、問題は内部で共有する」と答えた。国は戦没者の遺骨があることを認識していないのではないかと思った。何度念押しして聞いても答えない。具志堅さんは「あなたたち、人の道に外れていますよ」と防衛局の役人に言ったそうだ。
 この問題について、沖縄のマスコミは一生懸命伝えるが、「本土」では伝えない。計画の断念を要請するにあたり「このことは明らかに間違っている!」ということを、国への要請よりも多くの人に伝えたかったので、ハンガーストライキを行った。魂魄の塔の前では人があまり通らないので、県庁前で行ったら、沢山の人が来た。普段から反戦や基地建設反対運動とは縁のない人たちや、遺族の方々だ。海に出て泳いで避難しようとしていた仲間のうち、泳げない人は陸を通って避難することにした。海を通った人は無事だったが、陸を通った人は帰ってこなかった。「泳げなくて海に入らず亡くなった方を、海に捨てるのですか?間違っていますよ!」と述べられた。
 「沖縄戦には全国の都道府県出身者が参加している、これは沖縄だけの問題ではない、全国の問題です。」と各都道府県の議会に要請書を送ったりもした。あちこちの自治体から独自に要請書が出ている、国の計画の撤回を求める要請書を出して欲しいと訴えられた。
 「防衛省にとって戦没者は『戦友』ですよね、戦友の遺骨を、敵軍であるアメリカ軍の基地をつくるのに使う、遺族と戦友に対する裏切りですよね」とも述べられた。8月14、15日には戦没者追悼式典が行われる日本武道館、靖国神社のすぐ前でハンストを行った。戦没者への敬意をもっている人が来るだろう、その人たちに「戦没者の遺骨がこのような扱いを受けるんだよ」ということを伝えるためだ。ハンスト中、また戻ってくる人、ちらっと見る人が多かった。遺骨を守ろうということには反応してくれると思ったそうだ。
 靖国に頭を下げる必要はない、千鳥ヶ淵でもない、木の柱でもない、戦没者が帰る場所は、家庭である。国が戦没者を弔おうとする、遺骨を管理するのではなく、各自が管理する、遺骨も魂も家族の元に返すべきだ。国は戦没者や遺族に対しては加害者であり、裁判では本来、被告席に座らなければならないにもかかわらず、あたかも裁判官のようになっているとも述べられた。(これは「反靖国」「反『国による追悼』」の思想である!)
 一通り話が終わったところで、具志堅さんが代表を務める「ガマフヤー」へのカンパ要請が行われた。また具志堅さんの本「ぼくが遺骨を掘る人『ガマフヤー』になったわけ」の販売案内がなされたのであるが、会場に持て来た分はすでに売り切れ状態であった。休憩の後、質疑応答があり、靖国神社に参拝するような保守の議員に訴えるべきだとの意見があった。
 岩国労働者反戦交流会実行委員会から報告があり、今年も11月20日、21日と岩国現地で集会を行うとのことである。岩国は今やハブになっており、日米共同訓練などでは岩国に「陸揚げ」されて各地に派遣されているのだそうな。
 最後に閉会のあいさつ、デモのお知らせで右翼が「カウンター」をかけてくる情報が来ているが、挑発にのらないようにとのこと。集会参加は126名、zoom視聴者は19名、ガマフヤーへのカンパは52,382円であった。
この後、クソ右翼の妨害をはねのけて、梅田までデモを行ったのである。


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