補遺1:WIRED連載『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』

雑誌『WIRED』Vol.35(2019年12月12日発売)掲載の『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』の補遺です。紙面の都合上、掲載できなかった脚注、参照文献等をここで扱わせていただきます。

注1)

エストニア大統領ケルスティ・カリユライドによる「デジタル国家はテクノロジーではなく、その周りに丁寧に起案された法体系である("Digital government is not about technology but carefully drafted legal system around it")」という言葉は、Kristina Yasuda『エストニア大統領が語るデジタル国家』(https://kristinayasuda.com/posts/estonia-president-and-a-digital-nation/)を参照。

注2)

マーク・ザッカーバーグによる、母校であるハーバード大学の卒業式スピーチ「わたしたちの世代が新しい社会契約の形を定義するときがきた(“Now it’s time for our generation to define a new social contract”)」という言葉は、Facebook Founder Mark Zuckerberg Commencement Address | Harvard University Commencement 2017(https://www.youtube.com/watch?v=BmYv8XGl-YU)で確認できる。

注3)

なぜ「小さな契約」から「大きな契約」たる社会契約をボトムアップに問い直すアプローチを採用するかについて、少し説明を加えたい。
社会契約論(またはルソーにおいてはその中心的な概念となる一般意志)には個々人の個別意思の差異・差分の総和という微分法的な発想が織り込まれていること(桑瀬章二郎編『ルソーを学ぶ人のために』(世界思想社、2010)のうち、特に佐藤淳二『〈法〉の深層—ルソーの政治・社会思想と現代—』および東浩紀『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011))がある。
また、社会契約論の持つ排除の側面(大屋雄裕『社会契約論 包含と排除の法』(「法学セミナー」2015年6月号))や排他性(鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房、2013))を迂回したいからである。
さらに、旧来的な社会契約論について、科学のように「真理」を発見するようなアプローチを採ることに疑問を感じてきたこともある。もちろん、社会契約論における「契約」は単なる法学的な意味合いに留まらない概念であるものの、法的概念を援用して社会秩序のあり方を説明している。しかし、そもそも法とは不完全な人間によって形成されている社会にいかに秩序を与えるかを考えることであり、何らかの真理や「正解」があるものではない。だからこそ、様々な個別意志の差異・差分に着目した離散的なアプローチこそ相応しいのではないかという直感もある。
なお、このようなボトムアップ型の社会契約論については、鈴木健による「伝搬社会契約」や「構成的社会契約論」が近い。鈴木健『なめらかな社会とその敵』(勁草書房、2013)参照。

注4)

社会・制度を信頼するための説明を「契約」という法的な概念で説明することや、そもそも「制度」という万民が受け入れる法律や歴史的な慣習、価値観から成る社会構造を信頼すること自体が、もはや必然ではないことについては、レイチェル・ボッツマン(関美和訳)『TRUST 世界最先端の企業はいかに信頼を攻略したか』(日経BP、2018)を参照。本書では、信頼を「ローカルな信頼」「制度への信頼」「分散された信頼」の3つに区別したうえで、共有経済(シェアリングエコノミー)やボット、人工知能、暗号技術等によるボトムアップ型の信頼形成の可能性を論じている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?