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日記:きえてえ

 たぶん今が幸せのはずなのに、虚しくなるときがよくあります。抗うつ薬で改善が見込める不安とはまた違う、どうしようもない虚しさ。すべて辞めたくなって、今まで積み上げてきたものとかどうでもよくて、ただ消えてしまいたくなります。

 でも別に大きい不満があるわけじゃないんです。つらくないわけじゃないけど、生きれています。働いていないので、就労の苦しさ、職場の人間関係とかそういうことからは無縁。一日中家でダラダラして、三食食べれて、なんて贅沢な暮らしでしょうか。これで虚しいなんて言っているぼくは、いろんな人から怒られた方がいい。

 確かに悩みはあります。絵が思うように描けない、将来が不安、家族からの目、お金のこと。そういう悩みはあるものの、それですべてがダメかというとそんな訳はないはずで、さっきも言った通りぼくは生きれている。だから、幸せでもあるはずなんです。

 なのに、虚しくなって消えたくなる。無駄に生きる意味とか考えて、やっぱり意味があるとは思えなくて。

いや、そもそも意味なんてないんです。人間はただのタンパク質の塊ともいえるわけで、神様のことを現実的に知覚できないぼくには意味があったとしても知るすべはない。

 てかそもそも信じてないし。

 物質的な事を考えるなら確かに意味はないと思います。逆に社会的な文脈で命は尊いものだよねとかそういう解釈もできるけれど、その考え方が自分にも当てはまるとはどうも思えません。

 別にぼくがいなくても、ぼくの主治医は患者が一人減るだけで、お医者さんであり続けらます。同じように、ぼく一人いなくなったところで、プラスになる側面の方が多いように感じます。

 じゃあぼくのような面倒くさい奴がいることで、お医者さんの腕が上がったり、何かの改善につながるかというと、きっとそんなことはなく、ぼくよりももっと重症の人はいるし、ぼくなんかが引っかかるような何かはもう既にきっちり対策がなされています。

 なんてそんな謎の理論はどうでもよくて、ぼくはいま心から自分に価値がないと思っていて、消えたいってコト。

 絵は描きたいと思えるものがないし、あっても思うように描けないし、ゲームも何も楽しめません。こんな記事書いているのに、たぶん主治医は対人不安の治療だけすればいいと思っていそうです。

 それはぼくが語らないから悪いんだけど、てかぼくが全部悪いんです。

 昔、職場に馴染めなくて飛び降りようとしたのも、ぼくのコミュ力のせいだし、画力がないのもぼくが努力しないせいで。

 コミュ力も画力も目標も好きなモノも何もない。あるように見えているのは全部偶然で、ぼくはからっぽ。

 この先ずっと生きていくことがイヤでたまりません。この先ずっと下り坂で何も頑張れずに年だけ取っていくことが、悲しいです。生きる意味なくても生きていいかもしれないけれど、意味がないのに生きるのは辛いと思います。

 もし生まれ変わっても、生きる意味なんてずっと見つからなくて結局また消えたくなるんじゃないかなあ。


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