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『人造昆虫カブトボーグ V×V』第4話「ライバル登場!必殺ヴァリアブル・ルルド・ウォーター」を読む

 まず冒頭では、過去を捨て、何者にも縛られず、自由の国で2年間の修行をしてきたとされる流れ者のジョニー(無職)と、カブトボーグが浸透している社会にうまく順応しているリュウセイ(小学生)との対比が描かれる。

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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会

 チンピラたちとは「生きてきた密度が違う」と語るジョニー。明らかに社会性に欠けている。

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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会

 一方リュウセイは、小学生であるにもかかわらず、まるでビジネスマンのようなやりとりをしているとされる。

 ビジネスマンのようなやりとりをしているリュウセイたちを見たロイドは、「もっとフレキシブルなシンキングでいんじゃない?」と言う。ここで重要なのは、ロイドが推奨しているのは、あくまで柔軟(フレキシブル)であることであって、決して自分の欲望のままに自由に行動することが推奨されているわけではないということだろう。というのも、自由が行き過ぎてしまうと、社会が成り立たないからである。そのことを証明するかのように、次のシーンでは、まさに「行き過ぎた自由」を体現するジョニーによって、傷だらけにされてしまった西山の姿が描かれる。

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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会

 おそらくロイドが西山のことを「ウエストさん」と呼ぶのは、この回のモチーフとなっている西部劇(マカロニ・ウエスタン)にかかっているだけではないだろう。というのも、ロイドが「ウエストさん」と呼ぶことによって、物語的には、ロイドの「フレキシブルなシンキング」を示唆すると同時に、さらには、ジョニーの本名が、「山田一郎」であることの伏線にもなっていると考えられるからだ(つまり、私たち視聴者が、「もしかしたらジョニーも本名ではないのかもしれない」と、自然に思えるようになっているのである)。

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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会

 さて、西山が襲撃された公営練習施設に到着したリュウセイたちは、そこでジョニーと出会うことになる。ケンに「お前は?」と尋ねられたジョニーは、「俺の名はジョニー・ザ・ファーステスト。何者をも凌ぐスピードの持ち主。何者をも凌ぐスピリットの持ち主だ」と、よくわからないことを言い出す。社会性のあるリュウセイたちは、おそらく自分たちも自己紹介をするべきだと思ったのだろう。そこで彼らは、ある意味小学生らしく、自分の名前と好きな食べ物をジョニーに向かって叫ぶのである。しかし、社会性のないジョニーは、「言葉なんていい」と言い放ち、リュウセイとのボーグバトルを要望するのである(人類は言葉を扱うことで社会を発展させてきた。ゆえに、社会を拒否するジョニーは、言葉をも拒否するのだろう)。

 ロイドから、「もっとフレキシブルなシンキングでいんじゃない?」と言われていたリュウセイは、まさにそのことを実践するかのように、ジョニーの髪が長い(うざい)ことを理由に、ジョニーとのボーグバトルを拒絶する(「絶対に嫌だ!」)。まるで、社会性のないジョニーに対して、「郷に入っては郷に従え」ということを教えているようでもある。

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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会

 勝負を断られたジョニーは、「しばらく考えさせてくれ」と言って、その場から立ち去る。それを見て、すっかり油断している様子のケンと勝治。しかしリュウセイは、社会から逸脱した流れ者・ジョニーの強さを身体的に感じ取っていた(「奴は強い。それもとてつもないほどにな。ジョニー・ザ・ファーステスト……奴は危険だ」)。そこでリュウセイは、ジョニーのような流れ者たちが集まるとされる情報屋「マダム・ジェニファーの店」へ赴き、そこでジョニーについての情報(=ジョニーの「過去」)を得ようとするのである(自由を体現するジョニーについての情報を得ようとするこの一連の行動は、社会に順応しているリュウセイが、今以上に「フレキシブルなシンキング」ができるようになるために、自身に欠けていた自由を取り入れようとしていることを示唆していると言えるだろう)。

 ちなみに、リュウセイたちが、ジョニーの元恋人である春子からジョニーの話を聞いている際、勝治が自分の好物である「牛乳」に全く手をつけていない様子から、彼らがいかに真剣に春子の話を聞いているかが窺える。自分の好きなものさえ目に入らないほどに、彼らは、ジョニーという強敵の存在に対して、「不安」を感じていたのだと思われる。

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 一方ジョニーは、髪を切っていた! おそらく社会から完全に逸脱して、常に自由な状態であり続けることなど、普通の人間には不可能なことであろう。ジョニーは、その事実を受け入れたようである。大切なのは、その制約された社会の中で何をするのか、ということではないだろうか。ジョニーが本当にやりたかったことは、リュウセイのような強いボーガーとボーグバトルをすることであった。だからジョニーは、リュウセイの言う通りに髪を切ったのであろう(リュウセイが自由を取り入れたように、ジョニーは髪を切ることで、ある程度社会を受け入れたのである)。

 リュウセイとジョニーの対戦形式は、「チャージ2回、スリーステップエントリー、ノーオプションバトル」で行われる。よくスリーステップエントリーに関しては、「こんなのは無意味だ」と言われる。その通りである。スリーステップエントリー自体は、無意味で不合理な形式でしかない。しかしそもそも社会とは、不合理な形式=慣習の集積であり、その形式を受け入れたことを示すことによって、初めてその社会の一員として得られる「信頼」というものがあるのではないだろうか。つまり、スリーステップエントリーとは、ジョニーとリュウセイの二人が、互いに正々堂々勝負することを信頼し合っていることの証として見ることができるのである(その意味においてスリーステップエントリーは、無意味ではない)。

 ジョニーがリュウセイの形式「髪を切れ」を受け入れたように、リュウセイもジョニーの形式「スリーステップエントリー」を受け入れるのである。互いが互いの形式=慣習を受け入れることで初めて、ボーグバトルという本格的な交流が可能となるのである。

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 さて、肝心のボーグバトルは、リュウセイが勝利を収める。リュウセイは、過去を捨て、自由となった気になっていたジョニーに対して、ジョニーが捨てたはずの本名「山田一郎」の名を告げることで、ジョニー……否、山田一郎の動揺を誘い、その隙を突いて見事勝利するのである。リュウセイはここで、過去を捨てることなどできない、と言いたいのではないだろうか。真の自由とは、過去を切り離して決断的に未来へ進んでいくことではないはずだ、と言いたいのではないだろうか(残念ながらジョニーがそのことに気づいて、自身が「山田一郎」であることを素直に認められるようになるのは、第46話「全てを!セレクト・ユア・ファイナル・ディシジョン」において、ジョニーが、いわば「自然との一体化」を経験した後のことである)。

 勝負が終わった後、16時の鐘の音を聞いたケンは、まるで緊張が解けたかのように、「時代劇の再放送が始まっちゃう!」と言い出し、それを聞いた勝治は、早く帰ることを提案する。このシーンは、マダム・ジェニファーの店において、勝治が好物である「牛乳」に全く手をつけなかったことの対比として見ることができるだろう。すなわち、ジョニーという「不安」が解消されたことによって、勝治たちは、自分たちの好きなもの(ここでは「時代劇」)を取り戻したのである。

 ところで、「時代劇の再放送」とは、まさに「過去」を象徴していると言える(作中における「両親から授かった本名」も、「過去」とのつながりを表している)。大切なのは、ジョニーのように過去を切り離すのではなく、ケンが「時代劇の再放送」を楽しみにしているように、過去を認めて好きになることではないだろうか。おそらくこのケンの台詞には、本作の製作者たちによる、そのようなメッセージが込められているに違いない。あるいは、この回の最後のロイドの台詞である「自分の名前に誇り持とう」「マカロニ大好き」と併せて考えるなら、そうして好きになったものに対して、自信を持とうというメッセージとも考えられる。リュウセイたちがジョニーに向かって率直に「好きな食べ物」を叫んでいたように、自分の好きなものを堂々と「好き」と言える社会は、素敵な社会ではないだろうか。おそらく本作の製作者たちは、そうした素敵な社会を築いていくことを、本作を通じて提案しているのだろう。

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マカロニダイスキ☆


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©タカラトミー/カブトボーグ製作委員会(『人造昆虫カブトボーグ V×V』
第46話「全てを!セレクト・ユア・ファイナル・ディシジョン」)

俺の名前は、山田一郎だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

固有名というものは、一個人を指示するものではない。――個人が自分の真の名を獲得するのは、逆に彼が、およそ最も苛酷な非人称化の鍛錬の果てに、自己をすみずみまで貫く多様体に自己を開くときなのである。固有名とは、一つの多様体の瞬間的な把握である。

ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』より

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