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変わらない死生観

人生なんてどうでもいい

一体いつからこの考え方をするようになったかはわからない。多分、小学生の頃にはそうなっていたと思う。

自棄になっているわけでもないし、頭がおかしくなった訳でもない。

いつ死んでもいい

何か大きなことを成し遂げたわけでも寿命間近でもないが昔からそう思ってきたし、これからも変わらないだろう。
なんとなく周りの人間より生への執着が薄い気がする、誰かに死ねと言われたら「ええ、そうですか。」と言い簡単に死ぬに違いない。

生きてもいいが死んでもいい

むしろ生きることより死への興味がある。今認識している自分という存在が死んだらどうなるのか、死んだ後も意識があるのか、死体にくっついて離れないのか、それとも全てを忘れてもう一度新しい自分が始まるのか・・・。気になる気持ちのほうが生への執着より少し大きいくらいだ。

高校生の頃父親が癌で亡くなった。
両親ともがんであることは聞いていたので何とも思わなかった。病院で看取ったがどうせなら平日に授業を休むかたちなら良かったのにと思ったのを覚えている。
父親は死ぬ間際にベッドに寝たまま手をこちらに伸ばしてきたが、ベッドから少し離れたところにイスを置いていたので面倒なので手は握らず気づいていないふりをした。
父親が息を引き取った後もしばらくの間、母親は死んだ父の手を握ったまま俯いて泣いていた。
このとき私は正直、変わると思っていた。自分の親が死んだら悲しいのが世間一般的に普通で、これから自分が死ぬのも嫌がるようになるのだと思っていたが、そうはならなかった。

家庭を持てば感じ方が変わるのだろうか?子供の成長を見守るためには死ねないと思うのだろうか?
今、家庭を持っている人でも昔は私のように考えてた人はいるのか?

正直、私はこのまま変わらないままだと感じる。しかし、変わらないといけないとも思わない。

それでもこの疑問が大きくなり続ければ長生きしてみようとでも思うのか。

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