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インパール作戦その2 英国軍からみた『インパール』 どんな作戦で日本を打ちまかしたか?


#インパール作戦 #ウィンゲート
#チャーチル首相  #アラビアのロレンス  #ウィンゲート准将 

戦国時代、信長にしても秀吉にしても、自分の部下だけでなく、そこに住んでいる農民をうまく使って戦さをおこなっていた。現地の人間には「土地勘」というものがある。戦さでは「地の利」を利用することは大事なポイント。さらに住民を手なづけておけば、思わぬ敵の情報も手にはいる。四百年前にやっていたことを日本軍が学んでいないのはどう考えてもおかしい。

英国軍には、そんな知識を持った将校がいたようだ。このインパールで活躍したのが、その一人。オード・ウィンゲート准将である。この時ちょうど40歳になっていたウィンゲート。数年前の東アフリカでの「イタリア軍との戦い」で活躍した人物だった。

物資の輸送を、航空機を使っておこなうというアイディアを考えだす。戦争ではいかに相手より多くの火力を持つか!これが極めて大事なポイント。現場で指揮をとることが多かったウィンゲートは、独自のアイディアを実行し、戦果を挙げている。

空からおこなうピンポイント輸送だ。航空写真をつなぎ合わせた地図をつくり、地上部隊と航空兵それぞれに持たせる。そこには細かな番号が振ってあり、地上からその番号を告げると、そこに正確に空から物資を落としていく。そんな方法だった。

英国首相チャーチルは、東南アジアのジャングルでもこの方法が使えると踏んだ。そして、米国大統領との会合(カナダのケベック)にウィンゲートを連れて行く。ウィンゲートは、米国空軍の上級将校や参謀にこのアイディアを話した。その結果、米国空軍からの支援が得られたわけだ。このときビルマ(今のミャンマー)での制空権は、連合国軍が握っていた。その意味からしても、この作戦は間違いないものといえた。

*戦さの基本とは
⑴敵の状況を正確につかむ。⑵物資を、自国軍に確実に届ける。⑶兵員の士気・モラルを高める。

英国軍のおこなったのは、まず日本人捕虜を捕まえること。持ち物からその人物を特定するものがないか!そしていかに日本兵を油断させ、しゃべらせるか!専門の情報将校や日系人2世をつかい、うまく聞き出す。

兵士の士気で大事なのは、負傷したときの対応だ。いざとなれば広報の病院まで届けてもらえる。これは安心して戦えるということにつながる。ウィンゲートの物資輸送は、負傷兵の回収も頭にいれたものだった。ジャングル奥地につくられた拠点には、軽飛行機の発着する滑走路もつくってあった。

*現地住民からの情報
彼らから、かなり正確な情報を掴んでいたようだ。後は①いつから作戦は行われるのか?②どのルートをつかい進軍してくるのか?だった。

大まかなところは掴んでいた英国軍。日本軍のインパール作戦が始まる半年前から、その動向を見ていたようだ。制空権を持っていたため、空からの監視が主となる。なかなか動かない日本軍だったが、1944年3月になるとその動きが見えたようだ。

大河である「チンドウィン川」、川幅が乾季でも550mもある。その岸辺はいくつものイカダがあり、さらにかなりの数の牛や羊もいたようだ。空からはそれらが丸見えだった。

*英国軍の取った作戦
ビルマ内へ送った部隊も、全てインパールまで戻させている。ポイントはやはり物資の確保だった。さすがにジャングルに投下したのでは、十分に回収ができない。あえて自分の陣地に敵を誘いこみそこを攻撃する。この方が効率的というわけだ。

また、日本軍は人力により物資を運んでいる。運ぶ距離が長くなれば、それだけ運べるものも限られてくるという読みがあった。日本兵は移動するだけで、力を使い果たした事は事実だった。

まとめ
英国軍の作戦、その中心人物だったウィンゲート准将。あのアラビアのロレンス(T ・E・ロレンス)とは従兄弟同士だったようだ。ウィンゲートは15歳年下だったが、この親戚同士の2人、英国軍では素晴らしい活躍をしていた事は驚きといえよう。

歴史に「もしも?」はないが、このウィンゲートがいなかったならば、司令官の牟田口廉也は「無能」とまでは言われなかったのかもしれない。しかし、自軍の兵士への思いやりの無さや敵病院への攻撃などは、どう考えても犯罪だったことに間違いないだろう。そこが牟田口という人物を作りだした日本軍の限界だった。何が何でも自国軍の負傷兵を助けたウィンゲートとの違い。そこには学ぶべきものがある。

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