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"挑戦するか諦めるか"

人生において、仕事や夢に向かう中で、何度も『挑戦するか諦めるか』と向き合う瞬間がある。

私は夢に向かって『挑戦』という道を選び、経済的な成功ではなく、他とは異なる経験から得た強みを今も感じながら生きています。


プロフィールにも記載がある通り、20歳から32歳までオートバイレースに挑戦しました。"プロ"ではなく、自分の資金での参戦で、アマチュアながらも長い下積みを経て全日本での活動を経験。転職やアルバイトとの並行作業、活動資金の課題、そして年齢や社会への不安が入り混じり、サーキットを離れる決断をしました。現在はバイクとの関わりをツーリングやサーキットでのレース観戦を楽しむ形に変えています。



オートバイで養われた強み

オートバイでの経験がなければ得られなかった教養や強みがあります。かつてはローリング族や「走り屋」と呼ばれ、法外な活動が一般的でした。
しかし、サーキットに進むことで合法的かつ安全な環境で自らの腕を試すことができました。
その中で得た秘めた強みは、社会での仕事において支えとなりました。

チームの門を叩く、監督との出会い

自信満々でサーキットに挑むも、初レースでは厳しい現実に直面しました。
しかし、経験を積み上げ、専用マシンへのステップアップを経て地元のレースチームに参加。

今もお世話になっている監督は、バイクのみならずビジネスや人間関係においても尊敬される存在であり、私にとってのメンター。


勝負の世界で優しさは弱さ

友人からは、優しさが走りに影響していると指摘されました。
プロとしてのステップを踏む中で、勝負どころでの弱さを克服できず、それがプロフェッショナルへの道を遮る結果となりました。

小さな爪痕

過去のランキングでワイルドカードの可能性があったが、現実的には難しいものでした。それでも得意なコースでポイントを獲得し、年間ランキングに名前を刻むことができました。その痕跡は、挑戦の証です。


自分というブランド意識

現在の仕事はバイクを使用するもので、経験とスキルを生かして安全運転を心がけています。
自分自身をブランドとして捉え、事故を絶対に許さない意識で働いています。


最後に

自己負担での活動は限界が低く、当時の営業力不足(スポンサー活動)も課題でした。
今思い返せばお金持ち4、5人から集められたら、良い体制で走れたと思う…売り込みも出来なかったのは、走りに自信が無かった。

しかし、『挑戦』という経験は決して無駄では無い。
周りとは違う経験があり将来の可能性を広げる礎となっています。

普段の生活で公言する事はなく、自分の胸に秘めています。
自分の昔話で、マウントを取るおじさんになりたく無いですからね。笑


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