地獄を受け入れる?

なんで今なの。ってタイミングで大嫌いな地獄がこんにちはしてくるときあるよねーーー。
私、最近それが2回あった。
落差激しくて余計しんどくなっちゃうやつね。「こんなことなら一瞬の幸せもいらない。ただ苦しい瞬間が来ないでくれ。」なんて悲しいことを思わされちゃうやつ。
この頃の私はそんなこと思わなくなったけど。

人間の身体ってよくできてるよねって、最近妹と話したんだけど、すごく辛い記憶って辛さだけ残して概要が消え去っちゃうことありませんか?それって、有難いのかもしれないけど同時にちょっと悔しい。私を苦しめたものがなくなる。いいことなのかもしれないんだけど、あの苦しみが確かなものであったと言えなくなりそうで…なのかな(こちら表現未推敲です、多分これだけど納得しきれてるわけでもない)。

でもそんな渦中に、私は泣くように吐くように必死にメモに思考を打ち込んでたりする、ので、それをベースに地獄の話をします。


18歳の成人式と、ついでの東京観光を終えた私は、岩手の自宅で号泣していた。

つい数時間前までは楽しく東京を歩いていたのに、帰ってきたのはただの地獄。しかもこっちが生活の場だから、あっちは非日常だから、現実しんどーってなって逆にうける。嘘、なんもおもんない。てかあっちもちゃんと現実だったから。

つい醜いものだけが現実だと思ってしまうのは、私の悪い癖。

最近1on1で気づかせてもらったんだけど、どうやら私は選択を恐れているらしい。いやわかる、わかるよ。難しい決断をたくさん迫られてきたもんね。人よりたくさん悩みながら苦しみながらやってきたんだもん。
自分を幸せにするための選択を、とか言いながら、やっぱりこわいものはこわいのかもね。いや、それもこれも一つ一つを大切に重く受け止めているからなのかもしれない。CYLへの意識が高い。これって、ときに呪いにもなり得るやつなんだけど。

進路に関するめちゃでかな決断を迫られていて、過去の自分のせいでそれがもっと難しいものになって、親とも対立しちゃって、トラウマが帰ってきちゃったりして、それで冒頭の号泣。

パニックを起こしながら、ハッシャダイのみんなの顔が頭をよぎって「あぁ、私幸せなんだな」って思ったりした

東京でもらってきたお守りがちゃんと機能したらしい。


2回目は3月30日。大好きなproject:ZENKAIが終わって、清々しさとほかほかの愛と泣けてきちゃうような幸せと一生有効なお守りをもらった後。ほんと、その数時間後。

車で5分の地獄へ向かう


だいぶ前の私が同じように残したメモなんだけど、だいぶ前から同じように戦っていたんだなと思う。

祖父母の家から自宅まで、車で5分。
なんでzoomに参加するためだけにわざわざWi-Fiのない場所に行ってるんだって話なんだけど、なんだけど。

我が家多分家庭環境があんまりよろしくない。
わかりやすく虐待された訳でもなく、ものすんごい家族仲が悪い訳でもなく、
ただなんか、「これって子どもの心身の健全な成長には不適切なのでは…?」みたいな瞬間がちらほらあって。いや、もしかしたらもっとなのかもで認めたくないだけなのかもなんだけど、今の私はこうとしか言えない。


何を、どう書こう。やっぱり断片的にしか残ってないし、外に出すにあたって改めて認識するのが辛い。そしたら無理して書かないことにしちゃおう。今の私にはできないんだ。別に無理してするもんじゃないしね。
ただ、どこかに吐き出してしまうことで楽になるかなって期待しただけ。読んでくれるであろう友人や恩師の顔を思い浮かべて「ねぇ聞いてよ」がしたくなっただけ。なのかも。


ってことで一旦諸々おいといて、タイトルに戻ってみよう。「地獄を受け入れる」まだちゃんと理解しきれてないからハテナがついちゃったけど。

苦しさに対抗できるだけの幸せがほしかった。
マイナスなことって、ただでさえパワーが強いんだもん。だからもっともっと、なるべく嬉しい楽しい大好き幸せで埋め尽くしたかった。
記憶の限りでは、小学生くらいのときにはそんなこと考えてた気がするな。
ずーーーーっと、どこか深い部分で、意識的にも無意識的にも、それを追い求めていたのかもしれない。

ここ一年くらいのところで、それができるようになってきたんじゃないかと思う。
まだ勝てないけど、充分対抗してるし頑張って戦える。私はもう絶対に折れない(と思えてる)。

自分の選択と行動で人生をちょっぴり変えることができた。出会いたかった人たちに出会いに行けた。私の人生はちゃんと幸せにできるんだって思ってる。

幸せな状況をもっと幸せにするのは、それが自分自身のおかげってこと

「私できるもん!」が強かったのかな。人よりうまくいかないことが多い分、「そんなんじゃ生きていけないよ」って呪いをかけられた分、「自分で立ってるんだ」って思えたら特別な充実感を感じる。

だから今は少しだけ、少なくとも数年前に比べたら、自分のことを肯定できている気がする。

私ちょっと妄想癖というか…笑
小さいときからリアルおままごと好きだったし、今でもあんな人だったらな〜こんな自分なったらな〜ってしちゃうし、でもそんなの叶わないので悔しくなったり苦しくなったりしちゃうんだけど。
最近はそうじゃなくて、悔しい苦しいじゃなくて、「でもなんやかんや私でよかったな」って思うの。

私だからある、私にしかない地獄から逃れることよりも
私だからある、私にしかない幸せの方がずっと大事だってこと。なにそれさいこう。


これが、私の、今時点の、

地獄を受け入れる

ということ。

な気がしています現在!!

多分書きたいこと書き切ったのでおしまーい!
消したくなったら消します!

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