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プロ皿洗いッショナル〜残り物の流儀〜

うぇるかむ とぅ ぱすたふるわーるど!
こんちゃ!ぱすたです。

寒い冬。
鍋の季節。
いいですよね〜鍋。

水炊きもいいですし、最近はキムチ鍋とかも定番になりつつありますよね。
手軽にプチッとシリーズでやっちゃう一人暮らし民も、多くいるんじゃないでしょうか?
かくいう私も、学生時代にプチッと鍋をガン回してた一人なので!多いんじゃないかなぁ?なんて思ってます🙂
………いや、私にもキラッキラで爽やかな学生時代、、あ、あり、、ありましたよ?🥲


さて、本題なのですが、
鍋ってみんなで囲む際には、大きな鍋を中央に、それぞれの小鉢や皿、御椀によそって食べる。
この形式が標準といいますか、想像しうる「鍋をみんなで/家族で食べる」スタイルだと認識しております。
そうして、具材を食べ進めると、麺だの米だの味変だのでプラスワンなどして……
って形で消費されていくと思います。
なのて、基本的には鍋のまま「完食」までひた走ると思います。

そこで、「大皿」や「タッパー」からの取り分け。
これについて考え、述べて行きたいんです。←

大皿やタッパーから取り分けるって、シチュエーションは
「多く作り、作り置いたから取り分け、数回(数人)にわたるもの」との認識があります。

そして、一回目。
食べ終え、大皿をラップするとか、タッパーに移し替え冷蔵庫へ保存をしたあと、再び食卓に並ぶ歳に、天下分け目の決断をする必要があると提起致します!!

まずは、各々のお皿へと取り分け、配膳し、召し上がるという方式です。
もちろん食卓の彩り、料理やお皿が鎮座し、形式的にも、作法的にももちろん間違いようのない食事風景を作り出すことが叶うと想定されます。

そこで、です。

片付けをする身の者視点。
皿洗いを実施する者視点から殴り込みをかける無作法論がありまして、
片付ける人的には、皆に取り分けたあと、その大皿やタッパーのまま、一人分を食卓に並べることで、洗い物を一つでも減らしてやりたい。
という想いが沸々と浮かんで来ており、これをなんのためらいもなくお皿を出し、洗い物を増やすことへの抵抗がある。
この気持ちの揺れ動き、感情の機微について、「わかる〜」といって頂ける方は居られませんか?www
(本note記事は、これが投げかけたかっただけと言っても過言ではありませんwあしからず)

特に、配膳と皿洗いが分担されているときに、皿洗い老中田沼意次からの意見として「わたしはタッパーのままでいいから、お皿によそわないで?洗い物を増やさないで」と一言言いたい!
…としても、配膳の第5使徒ラミエルからすれば「気持ちよく、お皿についで、食べよう💡」が果たされないことに悶々とすることが想定される。。。

これ、落とし所が見つからず、きっと感情論のぶつかり合いになるのが目に見えている。。。

とても、食器乾燥機を導入すれば完全解決さ!
と言われても仕方無いとはいえ、諸事情から解決が難しい問題としてぶら下がっている最中なのであります。


みなさん、、
今夜の……
ご注文は………
関口宏か、、三宅裕司か、、
ドッチ!?………………………


それではまた!
see you,soon.

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