欺く蛇

叙述トリックというものがあります。

叙述トリックとは、読者の先入観や思い込みを利用し、一部の描写をわざとせたり曖昧にぼかしたりすることで、作者読者に対してミスリードを仕掛けるトリックである。

ニコニコ大百科「叙述トリック」

ミステリー小説などで見られるトリックなのですが、叙述トリックの特徴はあくまで作者と読者の関係で成立する騙し討ちである点にあると思います。

たとえば、「男性だと思っていたAさんが、実は女性だった」という構造は叙述トリックの典型例です。
名前が「司(つかさ)」だったり、角刈りだったり、一人称が「俺」だったりといった女性は存在し得るのに、読者は勝手にAさん(司さん)を男性だと思い込んでしまいます。
そして「犯人は女性に違いない」という絞り込みで読者視点では容疑者から外れていたAさんも、女性だったことが判明すれば犯人の候補になります。こうして巧みに読者の勘違いを誘いトリックを成立させるのが叙述トリックです。

ですが、この思い込み(Aさんは男性だ)は、作中の登場人物の視点では生じません。
なぜならば、登場人物たちはその目でAさん=司さんを見ているからです。
Aさんを男性だと思い込んでいるのは私たち読者だけなのです。
これが、叙述トリックの特殊さです。

あくまで読者を欺くというトリック形式。
多くの叙述トリックでは、嘘をつかない、という配慮?マナー?が存在します。
例えば先ほどの例で言うと、司さんについて「彼は」という代名詞を使うのはアウトだという暗黙のルールが存在しています。なぜならば登場人物視点でも作者ないし神視点でも司さんは女性だからです。その一線は守ろうねという掟が存在しているようです。
さらに発展させて、読者が気がつけるようにヒントを散りばめようという向きもあるように思われます。一定のフェアさとでも言いましょうか。本気で取り組めばネタバラシの前に気付けるように、さりげなく言い訳のようにヒントを仕込んでいることが多いです。
もっともこれは、ギリギリまで踏み込むことで、読み終えた後に「うわー、こんなにうまいこと騙せるものか」と感心させるためという説もあります。

さて、小説や映画などで用いられることが多いこの叙述トリックですが、私は叙述トリックが大好きなのです。
作者の巧みな表現で欺かれる心地よさが好きです。
こちらを騙してくる作者に対して、「やりやがったな、この野郎!油断も隙もありゃしない!」と怒りたいのです。


その仕組みとして、物語の中盤までは読者を欺き続け最後に、「今まで一言もそんなこと言ってませんけど〜」とネタバラシをすることが多い叙述トリック。
必然的に「衝撃の大どんでん返し!」「最後の〇分を見逃すな!」といった煽りを添えられがちです。
そしてそのようなコピーがダサい・野暮だという風潮が強く存在しています。
「好きなジャンルは叙述トリックです」と胸を張って言うのは少し気が引けてしまいます。
ですが、純文学や芸術性の高い映画などを鑑賞するのは難しいのです。背伸びしてそれらを楽しもうとしても、いかんせん頭脳が足りないもんですから……。

上述のキャッチコピーに問題があるのは重々承知です。そもそもどんでん返しが来ると知らずに喰らうから衝撃的なのであって、来るぞ、来るぞ、と思いながら読み始めたり観始めるのは本末転倒な気がします。
しかし、「どんでん返しが気持ちいい作品10選!」などのくくりでそれらの傑作に出会えるという側面もあるのです。
叙述トリックが抱える構造的欠陥ですが、私はそのような喧伝を責めることはできません。
もちろん、それで叙述トリックの作品を楽しむ仲間が増えることも、個人的には手放しで喜ぶことはできません。





まあ、「手放し」も何も、手、ないんですけどね。

4月22日(月)

文責:すべてを呑み込む大蛇 ティタノボア





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