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【小説】アレ 第23話



鈴木忍すずきしのぶ

 鍼灸院で施術を受けた。捻挫して既に二週間が経過している。
 ドクターストップになって指示通りに湿布を貼り続けた。おかげで痛みは軽減している。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、えぇ」
 先生は患者の声が聞こえていないのか? 聞く気がないのか? 自分の意見だけを主張し続ける。反論するつもりもないけど不安になった。
 薮医者なんて噂もあるけど信じていない。自分は偉いと勘違いしているだけだろう。
「大丈夫ですかね?」
「はい、はい!」
 頼りないのは困るけど、否! 先生を信頼して久しぶりに道場まで足を伸ばした。

 空手をかじって一年以上になる。鉄道のガード下にある小さな空手道場で、チラシを見て入門した。否! スポーツとはいえ人を殴るのは気が引ける。殴られるのも御免だし、性に合わない。否! 礼節を学び、痛みを知ることで人間本来の優しさに触れるというキャッチフレーズに誘われて、見学にいったのが最後。今、入門された場合は道着を無料進呈します! というセールスに乗った。否! 目的は護身の為、世紀末な世の中だから、いざという時に大切な人を守れる人間になりたい。そう思って習う事を決めた。否! 仕事の理由で、昇級審査を受けたこともなく、未だ白帯!

 型、組手の稽古があるのだけど、師範代が陰険な奴で、人の顔面に、正拳突きや上段蹴りを寸止めしてくる。何回もわざとらしく。パワハラちゃうかな? 悪ふざけにも程がある。まぁ、そんな奴だから他の門下生にも嫌われている。いつか鉄拳制裁を食らわせてやる。否! もちろん空手で。

 道場に着いて、僕は道着に着替えて、練習が始まるまでの間、柔軟体操をしていた。
「おぅ鈴木、辞めたんちゃうんか?」
「ご無沙汰です」
 師範代に捻挫していた事を搔い摘んで説明した。

「はっはっは、ヘタレやのー、空手は痛みに耐えてなんぼや!」
「知ってます」
「知っとんか!」
「前も同じこと言うてました」
「そうか! 空手はな、強靭な肉体と精神力を養うために毎日稽古に励むんや。修練を積んだらな、肉体は鋼鉄の鎧と化して、痛みさえ超越するんや」
「へぇ、超越ですか?」
「そうや。稽古つけたろ」

 ファイティングポーズを取ると、
「ほれ、かかって来い!」
 手を上に向けて、手招きのジェスチャーで挑発してきた。
 相変わらずイキってんなぁと思いながらマイペースでやっていると、
「気迫が足らん! 遊びとちゃうぞ」
 呆れた顔をして声を荒げた。偉そうに、まったく、人が気を使って優しくやっていることも知らないで。こんな奴を殴っても手が痛いだけだ。否!  

 しつこいので、入門した当初から猛稽古してきた足刀蹴りを放り込むことにした。

「ほんまにええんすか?」
「おう、手加減いらんぞ」
「本気でいきますよ」
「おいで、おいで」
 ふざけた態度に苛立ちは限界に達した。
「では、遠慮なく」

 師範代は、左足の膝を前に出して構えた。僕は容赦なく蹴った。この場合、支点から突き出された膝関節は、重心とういことになる。僕は、その重心を外側から支点より、内側に踏み抜くように蹴り込んだ。師範代が内股になった所まで、肉眼で確認は出来たが、計算上では、重心は支点から、内と外に約一往復半振られた後、復元力で元の位置に戻ったと考えられる。

 べコッ! 変な音がした。
 思った以上に痛かったようで、顔を真っ赤っかにして足を引きずった。そら普通に考えたら痛いでしょ。転がり回っていてもなんら不思議ではない。激痛が走っているはずだが痩せ我慢しながら、内股になって、オシッコしたそうに歩いている。

「よーし、みんな集まれ~」
 師範代が門下生たちを集合させると、
「これからテストマッチを始める」
 口火を切り、よりによって、対戦相手に僕を指名した!?

「試合を始める前に……」
 言ってる間にルール説明が始まった。師範代は口元を緩やかに、顔はやったるでーという目つきで僕を見ている。

「どちらがより正確に、突き、または蹴りを相手にヒットさせるかの、ポイント制です」

 師範代の鼻、こんなんやったかな? 原形を忘れるほど膨らんでいる。
 目は充血していて、その奥には炎がメラメラと燃え立ち、野心が見え隠れしている。

「肘打ち、膝蹴り、投げ技など、危険な行為は反則ですので注意して下さい」
 首をぐるぐる回し、肩をぐりぐりと動かし、指をぽきぽきと鳴らして、やる気満々だ。
 生きた心地がしなかった。
「それではスポーツマンらしく、正々堂々と戦って下さい!」
 もう後に引けなくなった。
「両者、構えて」
 やるしかない。
「始めっ!」
 遂に始まった。特訓の成果を発揮するには打って付けの相手だ。

「押忍!」
 気合いを入れて、覚悟を決めた。師範代は生真面目な性格にも関わらず、防具も装着せず、完全に舐めくさっている。ちょっとムカついてきた。そう来るなら僕も、プライドを見せつけてやる。
「せいっ」
 師範代の動きに鋭さはなかった。その癖、完全に見下している。その油断が命取りになることを思い知らせてやる。
「せせいっ」
 僕は、上段、下段と打ち分けて、フットワークを駆使し、予測不能な動きで師範代のリズムを狂わせた。
「せせせいっ」
 師範代は明らかに及び腰で、左足をかばっている。自分から仕掛けてはこない。
「せいやぁー」

 誰がこんな展開を予想しただろう。僕は主導権を握り続け、師範代は守りに徹している。
 やるかやられるかの状況で情けは無用だ。一瞬の油断が致命的な結果を招く。卑劣な手段かもしれないが、急所に集中砲火を浴びせた。

「とりゃー」
 会心の一撃がヒットして、衝撃音が道場全体に響き渡った。

 あの師範代が、片膝をつき、歯を食い縛っている。戦意喪失と思ったが意地を見せてきた。でも体力も僅かで、ガードも甘く、隙だらけだ。

「ちぇすとー」

 正拳突きが師範代の胸部で炸裂した!

 秒殺されると思って見学していた門下生たちからどよめきが起こると、いつの間にか大声援に変わった。
 師範代は眉間にしわを寄せ、悔しそうな顔で僕を睨み付けていた。

 仕方がない。もはや次の一撃が最後の別れとなるだろう。せめて奥義で葬ろう。

 さっきまでの騒がしさが嘘のように道場全体が緊張感と静寂に包まれた。ドックン、ドックンと僕の鼓動は高鳴り、呼吸を整えて、目を閉じた…ドックン、ドックン、小さな息遣いまでが鼓膜を通してクリアに聞こえてくる。

 目を見開くと、計算通りだ。師範代は鼻息を荒くして、鬼のような形相で前に出てきた。

 とどめだー!

 冷静に、タイミングを見計らって、ジャンプ……。

 冷たいタオルが頭を冷やしていた。道場は静かだった。門下生の大半は帰っていない。
 頭にたん瘤が出来ていた。僕が放った空中回し蹴りは空振りに終った。
 床に頭を打ち付けて失神したみたい。白目を見ていたらしいから恥ずかしくて仕方がない。

 でも、あの奥義さえ決まっていれば立場は逆だった。
 師範代は痛恨の一撃を喰らってノックダウンしていただろう。

 残っていた門下生たちが、こみ上げる笑いを抑えながら帰って行くのを見た。

つづく



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