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気づき


これまでの人生経験の中で、愛のないセックスは不毛だということに気づいた。

私も相手を好き、相手も私のことを好き。

そういう状態でもいいセックスになるとは限らない。

好き=愛してる、ではないからだ。

好きは一方通行。

愛してるは双方向。

好き同士でもなんとなくかみ合わないことは、まま、ある。

愛してる=愛し合っている

状態だと私は認識している。

一方的に愛してるという感覚はない気がする。

あくまで、私の体感だけど。

愛については別の機会にあらためてかこうとおもう。

好きという気持ちがお互いの上に介在しても、愛がないセックスは虚しいだけだ。

心に穴があく。

虚しい。

道具になってる感覚。

無感情。

考え事してる。

自分を痛めつける。

自分は単なるマシン。

単なる器。

悲しい。

好きな人がそばにいるのに、心が氷のように冷たい。

そんな気持ちになったものだ。

愛のない、というのは好き同士でつきあってるような状態であっても、体だけの関係に近いのかもね。

そんなセックスが、体にいいわけがない。

生理が止まる。

常に不安だ。

胃腸にポリープ。

アトピー。

ヘルペス。

食物アレルギー。

風邪。

過食。

ストレス太り。

これも月日がたって、わかったこと。

愛のないセックスは体が悲鳴をあげ、全身でNOというのだろう。

「合わない人とのセックスは体調不良になる」と今朝読んだところ。

なるほど。

今ならわかる。

セックスは神聖なエネルギー交換であるから、合わないエネルギーと交わることは、体力も消耗するし、やればやるほど、エネルギーを無駄に使い果たしていく。

精を無駄に消耗するっていうか。

減っていく。

枯れていく。

老けていく。

虚しさが残ったり、心が満たされず、心が閉じていく感じになる。

満たされたセックス(愛し合う者同士の)は、

なんともういえない幸福感

♨にはいってるかのようなくつろぎの感覚

眠くなる

身体が弛緩する

心も体も無防備になる

喜びに満ち溢れている

溌溂としたエネルギーが湧いてくる

委ねることの心地よさ

そんなところかな。

エネルギー交換は、セックス以外にも方法がある。

隣にいる。

そばにいる。

アイコンタクト。

これだけでも、愛するもの同士なら十分エネルギー交換できる。

私はともに楽器を奏でるということをしたことがあるが、演奏しながら、「これって、セックスだわ!」って思ったものだ。

いっしょに奏でることで、エネルギーが混じり合い、美しいハーモニーとなる。

いろんな人と演奏してもそんな感覚になったことはない。

愛する人とだけ、そういう感覚となった。

私がそう思ったのなら、相手もきっと同じことを感じているはずだ。

そういう体感をしてしまうと、むやみやたらとほかの人と交わりたいという気持ちはなくなりますね(もともとないんですけどね)。





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