ポジティブに生きたいのに
ポジティブに生きたいのに、脳が寛解したと思いたいのに、身体を動かすと言語化しにくい、頭のピリピリする感覚がある。浴室に向かうのが、難しい時がある。この苦しみが、あとどれくらい続くのだろう。
目がつらい時にはない症状だ。そんな時は、ゲームか、読書か、YouTubeを観ることにしよう。
きっと、未来は明るいと信じるべきなのだろうか。
言葉の意味がそれぞれ違うから、こんなことを言ったところで仕方ないのだろう。
でも、ダメだと言ってしまうと、本当にダメになりそうだから言いたくない。
こんな苦しい時間も、未来のいいフリなのだ。
ボケがあってその間のようなものだ。いつかツッコミが入ることを待っている。おれの本性はボケだった。人を笑わせることが好きだった。人の目を気にして、それができなくなった。
目がつらい時は、文学や音楽も、なにもかもおれを救わないと思っていた。今までお守りにしていた書き留めていた言葉や、本、漫画、ゲーム、音楽は、意味をなくした。
今は、目がそこまでつらくない。そういう時期なのだ。こんな時に、外に出て、言語化できない脳の神経の苦しみを味わうべきなのか。休むべきなのか。未だに、わからない。
ただ、言えることは、死にたくないということだ。そして、健康に生きたい。
今、同級生が、健康で、結婚していて、子供もいるのに、自分はなんてところにいるのだろう。外に出られた時の晴れに、感動してしまう。きっと、そんな未来が予想できる。
未来に不安や悩みはない。今日を「普通」の人として生活できている、ということに、不思議を覚える。おれは普通に生活できているだろうか。相談できる人が、家族以外にいない。外の世界の普通を知らないのだ。外の世界を知りたくてFacebookで同世代の人を知りたいと思ったのに、わからないままだ。
今は、出来る限り笑いたい。YouTubeを観て笑いたい。ゲームをしたい。自分のことを愛してあげたい。大丈夫だよ。寛解に向かってるよ。今の状態をうまく言語化できないけど。誰にも言えないこれを、抱えている自分を愛してる。
明るい未来を想像する。
わたしに会いたい。
藤井風の「grace」を聴きながら、こんなテキトーなよくわからない文章を書いているうちに、左後頭部の脳が和らいできた。たぶん、お風呂に入れる。大丈夫だよ。わたしは、あなたを愛している。
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