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自己紹介(Part5)

サン・ジョアン(São João)6月祭
 サン・ジョアン(São João)6月祭は、もともとはヨーロッパ各地で行われていた豊穣を祈願する祭りを、16〜17世紀にポルトガルからブラジルへ持ち込まれ、当初は北東部で特に盛んにお祝いされるようになりました。火の聖人である、聖ジョアンの記憶と祈りを蘇らせ、宗教心に火をつけるという意味もあり、この国にとって非常に重要な祭典である。
6月祭はフェスタジュニーナ(Festa Junina)と呼ばれ、名前の通り6月を示す名称となっています。

 フェスタ・ジュニーナ(Festa Junina)は各地で開かれるようになりました。カラフルな旗やバルーンなどで飾られたブラジル全土の教会や公園、会館などの会場や学校でも行事として開催されているところもあるそうです。

 フェスタ・ジュニーナ(Festa Junina)は火の聖人・結婚の聖人・雨の聖人に感謝し、田舎の暮らしを祝福するお祭りでもある。そのため、参加者は田舎者の格好をして踊りながら夜は火を焚いてお祝いを楽しみます。
 男性は、麦わら帽子をかぶり、つぎはぎだらけのチェックの上着とズボン履きます。眉毛をつなげたり、無情ひげを描いたりします。
 女性は麦わら帽子、カラフルな模様のワンピースにエプロンを着ます。髪を三つ編みにし、ほっぺにそばかすのお化粧をします。

 以前はバルーンを気球のように飛ばす習慣がありましたが、バルーンが原因で火事が多発し、現在ではバルーンを飛ばすことは禁止になりました。

インターネットより拝借しました
インターネットより拝借しました

 私も1967年頃、自分たちでバルーンを針金と紙で作り、バルーンの下部にローソクか何かをくくりつけて火をつけて飛ばした記憶があります。当時はみんながやっているから、何も考えずに同じ事をやっていましたが、禁止になるのは当たり前ですよね。

カーニバル
 ブラジルはポルトガルの植民地だったためにポルトガルの文化の影響を受け、カーニバルは18世紀頃にブラジルへと伝えられました。カーニバルはヨーロッパの国々、南米各地、アメリカでも行われています。
 ブラジルのカーニバルと言えば、真っ先に浮かぶのは「リオのカーニバル」がほとんどでしょう。でも、リオ(Rio de Janeiro)だけではありません。大小はありますが、ブラジル各地で開催されています。
 私は10歳(1970年)の時に初めて参加しましたが、それはサンパウロ(São Paulo)のある日本人会館でした。そこでは子どもからお年寄りまでが前の人の方に両手を置いて、一緒になっていくつものグループで夜通し踊っていました。

 カーニバル期間中は通行人や走っている車に水をかけてもいいことになっていて、とても楽しかったです。季節は真夏で、当時は車にはクーラーが装備されていなくて、暑くて窓を開けて走っているともちろん水浸しの状態。警察車両にもかけた記憶があります。
 当初は食器用洗剤の容器みたいな専用の物で水をかけていました。それがどんどんエスカレートし、今ではバケツや水鉄砲、ホースまで登場しているみたいです。

手作りカート
 Carrinho de rolimã カートを友だちと一緒に作って遊んでいました。
当時のカートに近い画像をインターネットで見つけたのでお借りして載せました。

 工夫してブレーキも付けたりして、坂道やコーナーをぶっ飛ばしていました。今考えるととても危険でした。

 今ではカートも進化し、インターネットでも販売しているようです。また、レース競技大会も開催されているほどです。興味のある方はインターネットで「Carrinho de rolimã」を検索してみて下さい。

凧揚げ
 子どもの頃よく凧を作って遊んでいました。空高く揚げるのが特に楽しかったです。
 ところがある日、いつものように楽しんでいると、ある人の凧が私の凧に接近してきて糸を擦り合わせて切ったのです。高く上がっていた私の凧が風に乗ってどこかへ消えてしまったのです。とてもショックを受け、いろいろな人に話をすると、それはやっていいことだと教えられました。つまり、それは「ケンカ凧」の事でした。相手の糸を切り、落ちた凧は先に拾った人の物になるという残酷な遊びでした。

 私は自分で楽しむために再び凧を作りましたが、防衛のために誰かに糸を切られないように糸を強化しました。先輩たちから教わった通りに、ガラスを細かく粉々にして接着剤と混ぜ合わせたものを糸に塗りつけて乾かしました。作戦が見事に的中し、近づいてきた凧が仕掛けてきたが相手の糸が切れ、私の凧は無事でした。

 現在は話によると、ケンカ凧専用糸が販売されているそうですが、とても危険らしい。あまりにもよく切れるので、凧糸が電線に引っかかり感電したり、木や車に引っかかったりして、それが人の体に当たって切れて大けがをしたりする人が多いらしいです。

マンガ
 子どもの頃はディズニーのアニメ番組や雑誌を見るのが大好きでした。
日本に来てからブラジルから送られてきたディズニーのマンガを今でも持っています。
 何冊か持っていますが、とりあえず最も古い2冊を載せました。

1971年の11月と12月のマンガで、中身はもちろんポルトガル語です。


次回はいよいよ日本へ

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