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時代

昭和43年 16歳のころ・・・・
僅か1か月ほどで高校を中退した僕は、田舎から出て東京の小さな印刷会社で働くことになった。従業員が10人未満のホントに小さな会社だった。
時給110円、この110円が高いのか安いのかは今だわからない。ただこのころのラーメン1杯の値段は50円のところと60円のところがあった。ということは時給の半分になる。今だと5~600円くらいになるかな?また銭湯が32円だった。仕事が終わると連れだって銭湯に行くのが日課だった。ある日先輩2人と銭湯に行った時のこと、そのうちの一人が「あ!金忘れた」するともう一人も「俺も・・」すかさず僕が「100円持ってるし大丈夫」後から思うとこういうことが時々あった。もちろん返してはもらえなかったのだが・・・・

印刷会社だからもちろん印刷機械で印刷をするのが仕事。機械は2台あって見るからに相当古いものだった。当時は国鉄のディスカバージャパンが流行っていて、そのポスターなんかも盛んに刷っていたし、大手のお菓子メーカーの包装紙も毎日のように刷っていた。小さな会社の割には下請け仕事は少なく、経営者(社長)がかなりの人物だと聞かされていた。しかしその割には設備はお粗末な気がしてた、とは言っても当時はどこもそんなものだったのかもしれない。

仕事は忙しく毎晩8~9時頃までやってたような・・・・賄いさんがいて3食作ってくれたが夕方5時には晩飯が出てその後残業へと・・。仕事が終わると工場の建物2階の居室へ帰り銭湯へが日課。この2階の居室はアパートになってて、外部の人も入居してた。でも下で印刷機械が動いていると強烈にうるさかった。一度体調を崩し昼間に寝てたら・・いやはっきり言ってうるさすぎて(なんせ古い木造の建物)寝てる場合ではない!こんなうるさいのが毎晩8~9時までって他の入居者は・・・・今では信じられないような話です。

時間給110円で一日朝8:15から晩8~9時まで働くと、一日1,200~1,300円くらい。休みは日曜と祭日のみ。(大企業ではこの頃から週休2日制が聞かれ始めた)これで行くと一か月3万円を超えるが、確か手取りは15,000円ほどだった。なんで?たぶん食費やら寮費も引かれてたのかもしれない。
15,000円から1万円は天引きで貯金に・・・これも勝手にそうさせられてた。そのおかげで数年後の退職時には80万円ほどになった通帳を受け取ることが出来た。大金である!!

あれから40年ほど経った10年前にその会社を訪ねたことがあった。もちろん当時の社長はもう亡くなってるはずだし、住み込みの賄さんだってしかり・・「もうないよな」と思ってはいたがあの頃のあの場所辺りの記憶を辿ってみたかったのだ。現実には商店街の道の狭さに??「こんなだった」? 銭湯は確かこの辺り・・・・ラーメン50円の中華屋は・・・・良く通った本屋さん・・・カレースタンドは・・・・たぶんたぶんこのあたりのはず・・・   みんなみんななかった!  そして会社は・・・・なかった!




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