GAFA全部無くなっても困らない
世界を席巻している4大企業といえば、GAFAと称されるGoogle、Apple、Facebook、Amazon。これらの企業が無くなったら、現代社会は成り立たなくなる。
しかし今の私にとっては、上記企業が今潰れて無くなってもそんなに困らない。これらが全部存在していなかった時代を生きた人間として、少なくとも私の幸福には寄与していない気がする。異論反論あると思うが、あくまでも社会参加していない特殊な一個人の意見としてスルーしてほしい。
GAFAは世の中にたくさんの仕事を作り出して、お金を循環させて資本主義経済を回す原動力になっていることはわかる。仕事面ではこれら巨大企業の製品の恩恵を受けることがたくさんあり、生活インフラとして欠かせない存在だと感じたが、仕事から離れると、全部必要性を感じない。立場が変わると、考えも正反対に変わるものだ。
■Amazon
かつてAmazonは神保町古書街にも置いていないような学術書とか洋書を手に入れるための特別なサイトだった。その頃はワクワクした。
今では日用品もネコのえさもなんでも買えるが、しかし近所の店で手に入るもので満足しているので、正直Amazonが無くてもいい。すぐ買える便利さよりも、わざわざ店に行って手に取ってみる楽しみのほうが好きだ。
近所の店で売ってなければ遠くの店に行く。それかあきらめる。不自由のほうが生きている感じがあって楽しいし、そのへんで手に入るもので工夫すれば生活はだいたい成り立つ。
これ以上ネット通販が普及すると近所の商店が潰れるので勘弁してほしい。
■Apple
Appleが無くなっても、別に困らない。パソコンのおかげで一人の人間ができることが増えて、仕事の量も幅も深さも加速度的に増えた。これを喜びと感じられたら優秀な人間になれるが、多くの人にはストレスだと思う。
もうiphoneが使えなくなってもいい。手書きのメモ帳があれば充分だ。通勤電車のほとんどの人がスマホを見ているが、暇つぶしとか通勤のストレス解消のためにスマホをするのなら、暇もストレスもない暮らしをすればいいと思う。
Facebookは全く興味がない。家族といるときもスマホを見たり、隣に住んでいる人の名前も知らないような生活をしながら、全然知らないネットの向こうの人とつながれたからといって、何かいいことがあるのか。
4社の中でGoogleは1番好き。直感的に欲しいと思ったものを実現してくれて、押し付けがましくないところが良い。インターネットが始まったころの、ネットが善意で成り立っていたころのgoogle検索のおもしろさは確かに記憶している。それまで情報は新聞やテレビから一方的に与えられるものだったが、google検索ができたことで、自分の意思で欲しいと思った世界中の情報にアクセスできることにワクワクした。出てくる情報も悪意が少なく、価値があるものが多かった。しかし今はあんまり興味がわいてこない。それより身近な植物を眺めたり散歩するほうがおもしろい。検索してなんでも知った気になっても、何も知らない頃と比べて人生が豊かになったわけではない。
■インターネット社会に飽きた
もしかしたら、インターネット社会に飽きたのかもしれない。もっと人間寄りで感情的で、面倒くさくて原始的なものが欲しくなったのだと思う。
かっこいいものとか、ついていけないと時代遅れになる感じの商品がたくさんあって、向上心とかプライドをくすぐってくる。AIを使いこなして、Appleの最新の製品を身につけて、SNSでいいねを欲しがったり、色々とやることが多くて忙しい。
向上心を持ち続けることは、今の自分を否定し続けることに近いのでそのうち疲れたり病んでしまう。堕落をすすめるわけではなく、今のままでもいいじゃないかと思う。世の中の最先端についていけてる自分とかすごい人脈とか正直いらないからスーパー銭湯行ったり昼からレモンサワー飲むほうがいい。
変に世の中に流されて迷子にならないよう、とりあえず自分と身近な人や物を大切にすることを忘れないようにしたい。
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