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「半沢直樹」的世界と「ジャパノミクス」(下)  「ジャパノミクス」って、なんどいや(23)



第23講    金融行政の「バタフライ・エフェクト」 

1988年「アメリカンバンカー誌」調べによれば、世界の銀行総資産ランキング20位中13行、しかも1位の第一勧業銀行から7位までは日本の銀行が独占していました。この時点で、都市銀行10行、長期信用銀行3行、信託銀行7行の計20行がいわゆる主要商業銀行という位置づけでした。

その後、国有化や合従連衡を経て金融危機がほぼ終息した2004年時点で、いわゆる主要銀行は、メガバンク3行に三井住友トラストの4行のみとなりました。ちなみに、2023年現在世界の銀行ランキングで10位以内に顔を出しているのは三菱UFJのみで、日本の銀行の存在感はすっかり薄れてしまっています。

これから、金融の仕事に携わる人は、

これまで述べてきた、プラザ合意以降の「円高誘導」「緩和政策」⇒「総量規制」⇒「金融引き締め」⇒「バーゼル1」対応⇒「日本版金融ビッグバン」⇒「金融3法」⇒「金融検査マニュアルの改訂」「早期是正措置」⇒「金融再生プログラム」といった一連の金融行政の流れが、外圧の影響を受けつつ「過剰流動性」⇒「バブルの発生」⇒「バブルの崩壊」⇒「不良債権問題」⇒「金融危機」⇒「デフレ」へと進む経済事象を押さえ込むのに、時期と手段において適切で有効なものであったか、あるいは逆に増悪させてしまうことがなかったか、という点について、整理して理解しておく必要があります。

私には、政策対応の少しのズレが後になって大きな問題を引き起こす「バタフライ・エフェクト」が「失われた20年」に連続して発生したように思われてならないのです。

「失われた20年」の折り返し点であった平成11年度(1999年)の経済企画庁「年次報告」すなわち経済白書では、「経済再生への挑戦」と副題を付して、以下のように総括(抜粋)しています。

「1980年代までの日本経済は,メインバンク制等の各種の慣行のもとに,銀行が企業経営の監視を行うという方式で発展してきた。このシステムは追い付き型成長期には有効なものであった。しかし、こうした分野での我が国の追いつきは既に終了し、逆に国際的に追われる立場になっている。」

「銀行に集中したリスクが含み益や担保価値の変動を通じて資産価格と大きくリンクしていたため、資産価格の下落(いわゆる「資産デフレ」)と実体経済の縮小とが相互作用的に生じていた面がある。このため大幅な信用収縮が発生し,それまで機能してきた慣行自体も次々に崩壊してきた。この結果,日本経済全体のリスク許容力が衰えており,縮み志向が悪循環を招いている。」

「日本経済は,地価の大幅な下落や金融・資本市場の国際化,などのために土地本位制とも言うべき土地に過度に依存した金融・経済システムが急速に崩壊してしまった。準備に周到さが欠けていたためにハードランディングであり、大きな痛みが生じている。」

「これまで,企業の体質改善努力は必ずしも進んでおらず,その先送りを支えてきた含み益は底を尽きつつある。
財政事情が悪化する中で,政府は大規模な需要喚起策を打ってきたが、民間需要が回復しないと中期的な期待成長率は回復しにくい。こうしたことから,経済活動の中核ともいうべき企業が,新しい利益を生み出す体質に早急に転換していくことが必要であり,企業の一層の努力が望まれる。但し,縮み志向型・資源切り拾て型のリストラではなく,資源と創造力を活用する前向きのリストラが重要になっている。緊急的に実施される総需要拡大政策に続けて,副作用の少ない形で供給面の改革を進め,企業部門の元気を回復させていくことがより本質的な課題である。副作用とは一つには雇用不安など個人の生活の安定性にかかわる問題であり、二つには苦境にある企業や金融機関を公的に支援することが自己責任の原則を歪めかねないという,いわゆるモラル・ハザードの問題である。」

 
・・・・・・・

ここでは、
地価の大幅な下落や金融・資本市場の国際化などのための準備に周到さを欠いた「ハードランディング」を行って、土地本位制に依存した金融・経済システムが急速に崩壊してしまった、と総括していますが、これは、1990年の土地政策、1992年の「バーゼル1」、1996年の「日本版金融ビッグバン」「金融3法」という3つのハードランディングを暗に示唆しています。

そして、問題の解決について、なんと、この経済白書では、これまでより政治や行政の役割が後退して、もっぱら「民」の自助努力を求めています。
これまで政府で行ってきた総需要喚起策は有効でなく、今や「打ち手」が乏しい、かといって公的支援はモラルハザードを生むので避けたい。だから、自己責任の原則で企業が各自持ち場で頑張れと言っています。

しかも、企業が「新しい利益を生み出す体質に早急に転換していくこと、すなわち、縮み志向型・資源切り拾て型のリストラではなく、資源と創造力を活用する前向きのリストラを行っていく」ことを経済白書は訴えていますが、現実にはそうはなりませんでした。

この時代に日本の経済社会に浸透し始めた自由市場資本主義の教義によれば、柵のない(規制のない)弱肉強食(新自由主義的な)のサバンナ(市場)に解き放てば、銀行も企業も強靱になるはずであって、これに耐え得ないものは淘汰されることで、総体として金融も経済も活力を取り戻す、と考えます。

しかし、実際は、タテ型構造で小集団主義を好む分厚い中小企業群で構成された日本の経済社会に、自由市場資本主義の教義をそのまま急に持ち込んだ結果、「縮み志向」という重篤な適応障害を起こすことになりました。

一部の大きく強いものや新興企業はともかく、「永続性」と「安定性」と「集団利益」に重きを置く「ジャパノミクス」に慣れた大多数の中堅中小企業や個人にとって、弱肉強食の「サバンナの法則」は、企業の存続や雇用、個人の生活の安定性に対する危機でしかなく、自らを防衛するためには、とりあえず「リスク許容度」を縮小し、「縮み志向」型のリストラしか考えられなくなってしまいました。 

この「リスク許容度の縮小」や「縮み志向」がなぜ起こるか、ということをみるために、おカネのやりとりをする銀行の現場でどのような機序が働いたか見てみましょう。

一般に人は「知らない人間にはおカネは貸せないし、貸すとしても高い利息を要求する」、逆に「知らない人間からおカネは借りたくない、利息が高いし、返せないとき何をされるかわからないから」と考えます。

しかし、お互いの氏素性や気質がしれたもの同士だと安心感があって、おカネの貸し借りは安い利息で何度でも行われるでしょう。借手と貸手がそれぞれ、相手の情報をどれだけ持っているか、について対称的でない、これを「情報の非対称性」といいますが、この場合の非対称性は小さいのです。

銀行の融資業務も、実はこの「情報の非対称性」の位置エネルギーを利用して、おカネのやりとりをしています。

仮想的な完全情報の世界では、預金金利と貸出金利の差は「媒介手数料」のみとなります。しかし、「情報の非対称性」のある現実の世界では、信用リスクと時間(期間)リスク部分が銀行の利鞘(収益)となります。

銀行にとって、ある程度の利鞘を確保するためには、「当方が知っていて他方が知らない」情報の非対称性があった方が都合が良いのですが、逆に「他方が知っていて当方が知らない」と最悪、貸金が焦げ付いてしまうかもしれません。ですので銀行は自らの側の情報の非対称性を極力小さくするために、強力な融資課や審査部や調査部を持っているのです。

いずれにせよ、このような「情報の非対称性」の中で、銀行と借手は適切な金利水準でディールをします。そして、このやりとりは誠実で正しい「情報の開示」の下で行われる、ということが大前提です。当たり前のことですが、貸借は、「虚偽」や「隠蔽」がない、「約束は守られる」という信頼の下で行なわれなければならないのです。

借手が借入を行うために銀行に対し「隠蔽」や「虚偽」(例えば、粉飾決算や資金流用)を行うことが蔓延しているような世界、あるいは、銀行が十分な説明責任を果たさないまま適切な貸出を渋ったり、強引な回収を図るような世界では、「信頼」の醸成は困難となります。

つまるところ、融資の世界において最も大切なものは、相互信頼の厚みです。そういう意味で「ジャパノミクス」におけるメインバンク制度というのはその相互信頼を固く保証する機能を持っていたのです。決して「もたれ合い」といった浅薄なレベルの話ではないのです。

一つの例として「貸手責任」論というものを考えてみましょう。

「ジャパノミクス」の時代の日本の経済社会では、借りたものは、事情の如何を問わず、返すことに誠心誠意努力するということを前提とする「借手責任」を前提してきました。

現代の金融の場では、個人保証は前提されませんが、当時は当然のように代表取締役の個人保証が求められました。個人の資力を当てにしているわけではなく、いわば、社長が「保証」を差し入れることで、会社の「暖簾」をかけて返済するという「借手責任」を表明していたと理解した方がわかりやすいでしょう。これは「会社の所有者は会社である」という「ジャパノミクス」的世界では何の違和感もなく受入れられていました。(社長は株主のために経営を任されたエージェントに過ぎないという現代の企業概念の下では「保証」など意味を持たない、ということになります。)

ところが、バブルが崩壊し不良債権が積み上がっていく過程で、金融不祥事が多発し、悪い貸し方をする銀行や銀行員がいるということがわかって、貸し方が悪い場合には貸手にも責任を負わすべきだという「貸手責任」論が声高にいわれるようになりました。

実際、2006年6月12日の銀行の「貸手責任」に関する最高裁判例では、銀行と顧客の間で取り交わされる金銭消費貸借契約においては、顧客の返済義務を定めてあるだけで、貸手である銀行はその正確な使途について知り得ないし、法的に責任を負うものではないという原則に対し、銀行は、融資を増やすため、株式投資や相続税対策をコンサルして不動産の購入を進めたり、提案をしてきた事実があり、その提案内容に齟齬があったり、十分な説明責任を果たしていない「説明義務違反」が認定される場合においては、相当額の賠償を命じることがありうる、とされたのです。

つまり、貸手に悪意がなければ、借手は借入金を当然に返済する義務を負う,ことを疑っていなかった当時の融資の現場に大きな衝撃を与える判例であり、また、この判例を受けて借手が「説明義務違反」を理由に「債務不存在の訴え」を提起する事例が頻発するようになりました。

そして、なにより事態をより深刻にしたのは、問題を抱える企業に対して「優越的地位の濫用」とか「貸手責任」を怖れて、新規融資とか、融資残高に対して神経質になるという副反応が起こったことです。
また「貸手責任」は、メインバンクに対して重く負わされますので、問題を抱える企業への新規融資や融資残高に関して取引銀行の間で鞘当てが起こり始めます。これが、「貸し渋り」や「メイン寄せ」(準主力行以下が「貸し剥がし」をすること)と言われる現象です。

しかも、この時期、銀行は金融当局から「金融検査マニュアル」に沿って、取引先企業の財務諸表を分析し、貸出金の健全性や資産性を厳しく査定するよう求められていました。
「マニュアル」における債務者区分と与信格付の判定は厳格に客観性を求められていましたので、その査定次第ではたとえメインバンクであったとしても、これまでのように支援を継続出来るとは限らない、しかも、銀行はその査定内容を明らかに出来ないので、企業側は疑心暗鬼に陥ったのです。

メインバンクというものが、相互信頼機能を保証するものでなく単に融資残高の多寡を示すものに過ぎなくなったとき、
企業は銀行に頼らず、徹底したリストラで経費や人件費を圧縮し、投資は必要最小限に抑えてキャッシュポジションを高め、極力銀行借入を圧縮して企業防衛を図るほかない、つまり生き残りをかけて「縮み志向」を徹底するということになります。

最後の仕上げです。

2002年に就任した竹中平蔵金融担当相は、プロジェクトチームを立ち上げ「金融再生プログラム」を発表します。

これは、改革の対象を主要銀行に絞って、その不良債権比率を50%に引き下げることを目標に、DCF法(DIscount Cash  Flow:貸出金の現在価値算定法)により厳密に貸出債権の資産査定を実施し、その結果を踏まえて経営健全化計画を策定、実行し、未達ならば経営責任を問い,必要に応じて、国の保有する優先株を普通株に転換して国有化するというものです。

あわせて、繰り延べ税金資産については、資産性が乏しいとの見地に立ち、監査法人に厳格な監査を求める内容が盛り込まれました。

このプログラムに則って、りそな銀行は、資産超過で資金繰りにも窮していない状況でしたが、「繰り延べ税金資産」の資産性について疑義を抱いた監査法人の監査方針を受けて自主再建を断念し、2003年に実質国有化されました。

また、UFJ銀行は、金融庁検査によって特定の債権先について厳しい査定を求められる過程で「検査忌避」と認定され、業務改善命令が発出された結果、2005年に三菱東京フィナンシャルグループに救済合併されました。

この「金融再生プログラム」によって、経営健全化に失敗した銀行が淘汰され、また生き残った銀行も民事再生法などの法的手続きや外資を中心に積極的に債権売却を行なうなどして不良債権処理を進め、一方で、保守的に貸倒引当金を積み上げたため、「これ以上ひどいことにはならないだろう」という社会の心理的安全性がようやく確保できるようになったといえます。
現に、この直後から、サブプライムローン問題の発覚する2007年まで日経平均株価はなだらかに「景況感なき」上昇基調を維持したのです。

しかし、
「ジャパノミクス」の下では、銀行は、「半沢直樹」のように、取引先企業の成長・繁栄や再生を助けることで自らの存在意義と「社会的公器」としての使命を自覚していたはずであり、銀行の経営理念にもそれが反映されていました。
しかし、それには、あくまで企業や個人と銀行との間に濃密な信頼関係が醸成できているということを前提としてでの話です。

バブルの崩壊が不良債権問題を引き起こし金融危機を招いたという事実はその通りであるとしても、その後も10年もの長い間日本経済は低迷から脱却できなかったということを「貸し渋り」や「貸し剥がし」といった表面的な銀行行動だけで説明することは出来ません。

どうしてこのようになったのか?

まず、「ジャパノミクス」を支える最後の砦であった日本型金融システムが崩壊し、銀行の資金供給力の低下に直面したとき、日本人の特徴である勤勉さや倹約精神、几帳面さが、強力に作用しました。

企業も商店主も、不要なものは処分し、給料を下げ、経費を節約し、生活費を削って、身の丈を縮めることに専心しました。余剰資金は極力借入金の圧縮に優先して回し、なすべき更新投資にすら後回しにしました。

その結果、個別企業がリストラを進めれば進めるほど、給料も消費も投資も増えないデフレスパイラルに見舞われ、企業業績が回復してもマクロ経済は低調なまま推移しました。
かつては世界で突出した資本主義国であった日本は、いまやOECDのなかで突出して「成長しない国」となり、長期停滞に嵌まり込んだような状況となりました。

1980年代に、昨日よりは今日、今日よりは明日、明日より来月、来月よりは来年、どんどん暮らしは良くなると信じていたその同じ人々が、日本経済の立ち直りを信じ、じっと耐えて事態が好転するのを待ち続けていた、それが1990年代の実相でした。
その間にバブル崩壊と金融危機の記憶をもったその人びとには「恐怖」と「悲観」が定着し、社会全体で相互信頼関係が損なわれ、心理的安全性が低下したまま前に踏み出せない状況が長く続いたということなのです。まさかあと10年以上も続くとは思ってもみなかったにしても。




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