「ジャパノミクス」ってなんどいや ⑵

第2講 「ジャパノミクス」と世界

そもそも「ジャパノミクス」がもてはやされたのは、日本の経済が世界第二位の経済大国として頂点を極めた1990年の頃までのことです。日本経済は1980年代の中頃からはバブル景気に浮かれ、これに少なからず危うさを警戒する人びともいましたが、多くは、政治はともかく、日本経済の先行きに対しては楽観的で、経済界や行政の舵取りに対しては比較的高い信頼を寄せていました。日本経済には確かにいくつかの問題はあるもののそれは致命的なものではなく、むしろ欧米に比べれば日本はうまくやっている、といった見立ての方が一般的でありました。

一般に「ジャパノミクス」は「カンパニー・キャピタリズム」(会社資本主義)というふうに定義され、企業の永続性(いまでいうサステナビリティ)に最大の価値を置いていました。それに対して、アングロサクソン系の資本主義は、短期的に株主利益の極大化を目指す「キャピタリスト・キャピタリズム」(株主資本主義)であって、わが「ジャパノミクス」の方が、マクロ的な経済課題に対して有効で優れているのではないかという意見をのせた本が、当時の書店の経済書コーナーの棚にたくさん並んでいました。

現に、高名な経済学者の森嶋通夫氏が「イギリス病」と断じた活力なきイギリス経済や、鉄鋼業や自動車産業のなどの基幹産業が凋落し、ベトナム戦争後は基軸通貨としてのドルへの信認も怪しくなってきたアメリカ経済を尻目に、日本は、草の根的な企業努力と労働生産性の向上によって、第二次石油ショックを乗り越えつつありました。
今となっては、荒唐無稽に聞こえますが、欧米は歴史上の黄昏を迎えつつあって、いずれ経済の中心はアジア・太平洋に移る、その時、日本は、経済力においてアメリカと肩を並べ、やがて凌ぐことになるかもしれないという近未来予測まで立てられるようになっていたのです。例えば、初学者や若手社会人向けに出版されていた「ゼミナール日本経済入門」シリーズの1989年4版1刷の序章は、次のように書き起こされています。―「戦後40数年、日本は世界各国の人々からうらやまれるような力強い経済発展を遂げた」そして成功したジャパノミクスが機能すれば、これからは「大西洋経済圏が斜陽化し、太平洋経済圏が繁栄する」ー

実際に、日本経済は、高度経済成長を経て1980年代には、ドルベースの一人あたりGNP(国民総生産)でアメリカを抜き、1991年には世界のGDPに占める日本のシェアが15.6%となり、世界第2位の経済規模になっていました。しかも、将来分野とみられていた半導体や民生用電気機器や自動車、造船、鉄鋼業、それに金融業などの国家的な基幹産業において圧倒的な競争力を持っていたのです。

ソニーの盛田昭夫氏は「MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略 1987年」で、企業は常に新技術を育て、新しい魅力ある製品を提供し続けていかない限り、厳しい生存競争を勝ち抜いていくことができない。だからこそ、テクノロジーを磨き、優れた品質の製品を生み出して、新たなマーケットを開拓していく、それが「日本企業の共通した」経営理念である。換言すれば、「絶えざるイノベーションは日本企業の最大の強みである」と胸を張ったのです。

問題は貿易面でした。日本は、1981年以降連続して経常黒字を計上し続け、1992年には初めて1000億ドルを超えます。そして、アメリカを始め各国は、拡大する「通商国家」日本に対して「日本機関車論」(オイルショック後の世界不況を克服するために日本が牽引車になるべきだとする主張)で期待を寄せる一方で、貿易収支不均衡の是正を要求し、自国では保護主義的貿易政策を採って国内産業を守りたいと考えるようになりました。

その前後で、先の盛田昭夫氏と石原慎太郎氏が共同で執筆した「NOといえる日本」という書物が、1989年のベストセラーになります。この二人の論客は、こう主張します。―米国の経済政策や企業経営にこそ問題の本質があるのであって、同じ資本主義、市場主義の土俵で戦っている貿易相手国である日本に対して一方的に「不公正である」と言い募る方が、むしろアンフェアである。日本企業は、これまでニクソンショックやオイルショック等の外部環境の悪化に晒され、厳しい経営を強いられてきた。それでも公正な資本主義のルールをしっかりと守り、生産性の改善やコスト削減に血のにじむような努力をしてきた。今の状況は、米国企業がその努力を怠ってきたことにも一因がある。このようなアメリカの主張や政策は、公平公正な自由貿易を前提とする民主的資本主義国家間の貿易交渉において、より不適切である。政府も財界も、アメリカにたいし右顧左眄せず、経済的にも政治的にも自立して言うべきことはきちんと言おうではないかー。

理論上は、日本の経済が成長して他の国から資源や半製品をより多く買えば、その分相手国の経済も潤うはずでって、日本経済が大きくなって、外国からモノを買い、外国に安いモノを供給することは双方に利益になるというのが自由貿易論の公理である。従って、日本の貿易の拡大は世界経済を攪乱させるとか、日本経済の拡大が外国の産業に一方的に被害を与える というような非合理的な意見に対してはきちんと反論すべきであるというのが、当時の人びとの共通した認識でありました。(図説 「日本経済の将来」~日本経済センター 1980年)
このように、1980年代は日本経済に関する議論が、国内外の知識人の間で活発に行なわれた時期でもありました。

次回では、そのいくつかを詳しく紹介しましょう。

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