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[半沢直樹」的世界と「ジャパノミクス」(上) 「ジャパノミクス」ってなんどいや? (21)

これから、退屈でわかりにくい金融の話になります。

最初に、あるエピソードから。

2000年代の金融危機のただ中で、ある会社の再建のために十数行もの取引銀行団の協力を取り付ける必要があり、ある地銀の常務取締役東京支店長さんを訪れた時の話です。

「・・・・というわけで、当行がメインバンクとして会社を支えますので、御行には準主力行として、是非ご協力願いたいのですが・・・」

「暑いところ、わざわざお運びいただきご苦労様です。わかりました。当行は協力をお約束します。」

「ありがとうございます。本来は、会社が頭を下げて銀行回りをしなければならないところなんですが、ここはメインバンクとしての旗幟をを鮮明にしないといけないと思い、銀行の一存でまかり越しました。どこの銀行も不良債権の山でいろいろおっしゃいます。まあ、銀行員というのはなんとも因果な商売だなと思うこの頃です」

「いや。でも、今日ほど銀行という仕事が大切な時代はないですよ。こうしてお客様の事業再建のために銀行員が汗をかいて回る、これこそが、銀行の本来の仕事というものです。大変な時代ではありますが、われわれは、今こそ銀行員冥利に尽きる仕事をしてるんだと思わなくちゃなりませんな。」

現代の銀行業務は多様化・分業化・国際化が進んで、この頃の銀行の姿とはずいぶん変わってきました。これからの銀行像を見通すのもなかなか難しい時代になっています。

しかし、余ったところから足りないところにおカネを「媒介する」という機能が銀行の核心的な業務である、ということは、これからも変わることがないように思います。
おカネが、紙幣や金貨から、カードやデジタルに、とその態様を変えていっても、です。
人が暮らす社会からおカネの貸借(や立替え)が消えてなくなることはないのです。

そうであるならば、銀行はどんなに多角化しても、やはり「金貸し」が主業であり続けることでしょう。

そして「金貸し」を生業とする銀行は、

お預かりしたおカネを大切に思い、
「適切な目的のために」、
おカネを必要とする「確かな人に」、
「必要かつ十分なだけ」の資金を、
「適時に適切に」提供し、
貸したおカネは決められた時期までに「遅滞なく」お返しいただく、
というのがあるべき姿であり、おカネの貸借取引の裏には、お互いの「信頼関係」が必ず成立していなければなりません。

そして、一旦大事なおカネを貸した以上は、いかなることがあったとしても最後の一円まできれいにお返しいただくよう、借りた者に誠意と努力と工夫をもとめ、またそのための「やりくり算段」の知恵を親身になって提供する、というのが、「金貸しの本道」です。

それを、担保さえあればおカネを貸す、担保の範囲内でしかおカネを貸さない、いざとなれば、会社を潰してでも、工場や家屋敷を担保処分して換金し回収できれば事足りる、というのでは、「金貸しの外道」を歩むことになります。
そこは、誠意も信頼も努力も工夫もない殺伐としたグリーディな世界であり、それはいずれ「モラルハザードへの道」に繋がっていきます。

ネジ工場を経営していた父親が、雨の日(業績不振のとき)に、銀行員から傘を取り上げられ(融資を打ち切られ)自殺する経験をもつ主人公が、やがて成人して銀行員になって、内では銀行の虚偽・隠蔽・不正と戦い、外では、Cool Head but Warm Heart  で取引先の事業再建の尽力する、というのが「半沢直樹」のストーリーです。
そのサクセスストーリーの底辺に流れているのは、銀行というお仕事の根っこは「相互信頼」で繋がっていてほしいという作者池井戸潤さんのヒューマニティです。
いかなる逆境にあっても、銀行員は、内外の虚偽・隠蔽・不正に対して、上司・同僚・お客様などと誠意・信頼・勇気で結ばれて、立ち向かってもらいたいというものです。

実際の銀行の現場は、おカネという人びとにとって命の次に大切なモノがやりとりされる世界です。そして、その泥臭い経済社会では、以前触れましたように「欲望と恐怖と楽観と悲観」が大きく渦巻いています。
それだけに「誠意」と「信頼」が何よりも重視されなければなりません。表面的な業績や経営指標がどうあろうと、おカネを貸せるかどうかの決定的な要素は、その貸出先と「誠意」と「信頼」が紡げるかどうか、ということなのです。

今はどうか知りませんが、かつて新人の銀行員は「ヒト、モノ、カネ」を見て融資するように教えられていました。

しかも順番があります。
ヒト(経営者)⇒モノ(商売)⇒カネ(資金繰り)の順に貸金の可否を検討しなさいということなのです。

この順番であれば、経営者が優れていて、良いビジネスであれば、担保がなくても将来性を見ておカネを貸すという判断が出来ます。
逆に、お金を返してくれることが確実な資金繰りでも、悪い経営者や、筋の良くない商売には、おカネを貸さない、というまっとうな融資判断が出来るのです。

山崎豊子さんに「暖簾」という小説があります。
急死した父のお店を引き継いだものの資金繰りに困った主人公が銀行の支店長に融資を願い出ます。
支店長から、担保はあるのか?と問われた主人公は、先代より引き継いだかけがえのない「暖簾」が担保だ、と答えます。
それを聞いた支店長は、しばらくの沈黙の後、
「よろしおます。「暖簾」とは、結構な担保です、お貸ししましょう」と答える一節があります。
出来すぎた話のように思うでしょうが、かつての銀行の現場ではそう珍しい風景でもありませんでした。

「半沢直樹」的世界は、1980~90年代の銀行の現実を、現代に近いところに移し替えて描かれていますので、面白くはあっても、現代の銀行業務の経験のある人たちは、いささか違和感を覚えると思います。

当時と現在では、銀行事務のルーティンや人員構成が大きく変わってしまっていることもありますが、日常業務における「数量」のウェイトが重くなっていることを知っているからです。つまり、現代では、「数量」の合理性や効率性、つまり「○○率」で意志決定することが当たり前となっていて、金融取引を成り立たせている人間の心理にかかわる「定性的」な事柄は軽視、時に忌避されます。

既に述べたとおり「ジャパノミクス」は、「定性的」な社会的信頼性を土台にして成り立っていました。そこでは、人びとの相互信頼や心理的安全性がが確保されていることが前提となっており、金融制度も、その「相互信頼」のシステムによって成り立っていました。逆にそうした金融システムが、「ジャパノミクス」を支えてきたともいえます。
「半沢直樹」には、ところどころ、その「ジャパノミクス」的な場面ややりとりが見え隠れしていて、それが違和感として看取されるのです。

そして、1990年代半ばからの金融危機と「ジャパノミクス」の崩壊は、まさにその「相互信頼」と「心理的安全性」が損なわれていく過程そのものだったのです。

日経新聞元論説委員末村篤氏は、1990年代以降の日本経済の姿を振り返って、2003年当時以下のように、「ジャパノミクス」を総括しています。

「日本がアメリカに代わって世界最大の債権国になったのは事実だが、本当はおかしいと思った人々がいた。日本型経済モデルは, 加工貿易立国を国是とする重商主義であり、それを, 銀行を中心とする間接金融が支えてきた。その間接金融には, 土地と株式という資産が特殊な形で取り込まれていたことが、後のバブルの形成と破綻の原因となった。その特殊な形というのが、「土地本位制」と「株式の相互持ち合い」という信用創造のメカニズムを使った 「含み益」を最大限利用するシステムだった
日本的経営を形成する骨組みは, 三種の神器ともいわれた「終身雇用」, 「年功賃金」,「企業内組合」で、当時は優れた経営システムだといわれたが、本来, まともなインフラストラクチャーの上で経営する企業がそんなことできるわけない。それが出来たのは、「土地本位制」と「株式の持ち合い」という信用メカニズムを組み込んだ間接金融が機能したからである。
「土地本位制」とは、土地の含み益を株価に反映させて, 土地には手をつけずに高株価で巨額な資金を調達する仕組である。この仕組みの中では、土地や株式を大量にしかも早い時期に取得している大企業に 実力不相応な資金調達が保証されていた。「株式の持ち合い」も銀行の役割が大きく銀行は資金供給面において、「貸出」「株式の保有」で企業を丸抱えにした。当然、 銀行のバランスシートの中に土地,つまり担保融資と, 株式が集積しているわけですから, 資産がどんどん値上がりしている過程では, 銀行はどんどん余裕ができて, 過剰な信用創造、貸出が行なわれる。逆に、資産価格が下がってくる局面では, 逆のスパイラルが発生して, 過剰な信用収縮が起きる。「こういうレベルの低いシステムを日本経済は中枢である銀行システムに抱えて成り立っていた。」
当時の日本の産業, 企業の国際競争力というのは, 円安, 低賃金に象徴されるコスト優位性が薄くなってきたときに, 企業は 資本コストの低さを武器として確保しようとした。すなわち、企業は、土地を担保にして, 低金利で銀行から資金を調達し、一方、持ち合いで膨張した株価でエクイティ調達を行った。そういう状況を作り出すことによって, 企業に設備投資をさせた
一方、日本の雇用制度は、終身雇用を暗黙の前提として, 年功賃金と勤続年数が長くなるほど多くなる退職金・年金制度を組み合わせた人件費の構造は、 目先の人件費のコスト低く抑える効果があり、退職給付会計が導入されるや巨額な積み立て不足が顕在化し、これを将来の人件費のコストの先送り, 飛ばしと見做されることになった。日本の会社は株式と土地の含み益を簿外資産に抱え, その一方では, 労働債務の含み損を簿外債務として抱えていた。
しかし, 資産が値下がりすれば含み益は消えるが, 負債の含み損は消えなくなり、企業も銀行もバランスシートが破壊されてにっちもさっちもいかなくなった
日本的経営, 別称「含み経営」が崩壊するのは自然の摂理である。また日本固有のメインバンク制度というのは, メインバンクがしっかりと企業をモニターしていることが前提で、その他の銀行はモニターや審査を怠るモラルハザードを招いた。メインバンクは財務書類をチェックして貸していたかというとそうではない。 加工貿易立国の国是に沿って, 政府の指導の下で, 銀行は資金の配給機関として融資した。最大の株主の銀行がモニターしているのだから,企業の財務内容を, きちんと分析する必要はない。社債市場が発達しなかったのも, 持ち合いがはびこったのも, 真の投資家が不在だったから。純粋な投資目的の投資家ではなく, 勝手知ったる相手同士なら, お互い様で、極論すれば, 正確な会計情報を誰も必要としなかったのです。」(立教経済学研究第56巻第3号2003年「日本経済の危機を招いたものは何か*金融と会計を学ぶ意味を考える」抜粋)

元銀行員にはかなり手厳しい論評ですが、当時の銀行に対する世間の風当たりを代表するものでした。

この論説は、株式の持合いや、年功序列型雇用、企業別組合といった「ジャパノミクス」とそれを支えるメインバンク体制の「馴れ合い」体質が、企業経営のチェック機能を無効化し、土地本位制による含み経営、財テクによるバブルとその崩壊を助長したというものです。
ここには「ジャパノミクス」がバブルを引き起こしそれを崩壊させた、という通説が念頭にあります。

しかし、確かに「馴れ合い」体質によるチェック機能の不全は認めざるを得ないにしても、「ジャパノミクス」や「メインバンク制」がバブルの発生や崩壊の直接の原因であると決めつけるのは、代表性ヒューリスティックスに近いものがあるような気がするのです。

なぜ、1980年バブルが発生し、1990年代にバブル崩壊から金融危機に至ったか、については、多くの要素が絡み合っていたことが、専門家によって膨大に研究されているので、ここでは控えますが、
単純に現象面だけ見ると、バブルの発生は、土地神話が生んだ信用創造機能、バブルの崩壊は土地神話が潰れて喪失した信用収縮機能の働きにすぎません。

人びとは、バブルは潰れてみて、初めて「バブルだった」と気付くものなのです。ですので、バブルの原因を、後付け的に「システムの欠陥」に求めるより先に、そのシステムを支えてきた「信用」あるいは、人びとの「社会的信頼」がどうして、かくも簡単に損なわれてしまったのか、ということへの理解の方が大切であると思うのです。

ところで、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、金融システムについてうまい言い方をしています。

「信用」というものは、「想像上の財」つまり今現在存在していない財を、目の前のおカネに換えることだ、というのです。だとすれば、将来に対する「信用」さえあれば、手にするであろう「おカネ」でもって、現在の財を手に入れることも出来るということを意味します。
そして、もし「信用」を長く持ち続けることが出来れば、「想像上の財」が今より増え、目の前のおカネに換えて、より豊かになることが約束されることになります。
これを一国の経済に当てはめれば、その国の経済の将来についての信用が高まれば高まるほど、資金が集まり、財を手に入れることができ、さらなる成長のための投資が行われ、それが経済成長を促し、経済成長を続けるということが、さらに一層その国の将来に向けての信用を高めるという無限の好循環(という錯覚かもしれない)を生み出すことができます。

日本の金融は、戦後長らく、日本の経済社会に根付く土着的な社会的信頼感、具体的には相互持合い、系列関係や土地に紐付けられた信用力により、より少ない資本で多額の信用創造を行う銀行という「打ち出の小槌」を重視してきました。
そして、銀行は、有力な取引先との間で、それぞれ取引経緯や信用力に応じて形成してきた「メインバンク」という取引秩序を構築し、行政が「護送船団方式」で、その安全性・安定性を担保するという巨大な日本型の信用循環システムを作りました。

「メインバンク体制」というのは、こういうものです。

「メインバンク制」というのは、銀行が一方的にか強権的にか囲い込むというもではありません。

まず、銀行と取引先の間に、大まかに「主力」取引「準主力」取引「付合」取引といった序列を「双方向で」仮構して作り上げられます。

メインバンク(「主力銀行」)は「主力」取引先に対し、有利な条件で貸出を行うのみならず、銀行団のとりまとめを行い、さまざまな金融情報や金融サービスを優先的に提供します。

一方「主力」取引先は、メインバンクに預金と為替取引を集中して金融取引コストを手厚く支払うのみならず、重要な経営情報や営業情報を進んで提供して協力を要請します。

そして、こういった互恵的な関係を将来に亘って維持していくために、株式の持合いや人的交流、あるいは業務面や営業面での協力関係でもって濃厚な共存共栄関係を築いていったのです。

つまり、「メインバンク体制」とは、集団の相互信頼と相互扶助を重視する「ジャパノミクス」と相似的な性格を持った日本型金融システムの骨格をなしていたのです。

半沢直樹は、航空会社の再建のために、メインバンクの銀行員として汗をかきます。ある会社が危地に臨んだとき、本来メインバンクというものがどういう役割を期待されるものなのかがよくわかる物語です。半沢直樹がやったのは、銀行の債権の保全のため、担保を処分したり、会社を売り飛ばすことではなく、メインバンク、経営陣、従業員、銀行団との間の信頼関係を紡ぎ直すことだったのです。

1990年代後半からは、ハードランディング路線に傾く金融行政の下で、過少資本と貸倒引当金の急増で窮地に陥った銀行が、なりふり構わず取引先に対して厳しい不良債権の選別と処理を進めていくことを余儀なくされてしまいます。
その過程で、銀行と顧客との間の相互信頼に裏付けられた日本の金融システムは急速に瓦解していきます。そして、この命の次に大切なおカネを扱う金融システムへの社会的信頼の崩壊は、そのまま「ジャパノミクス」の崩壊をも意味するものであったのです。



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