卒業旅行

母が高校を卒業し、すぐから働いていた職場を数十年前に退職した。あと1年で定年退職になるのだから、真面目な母にしては少し意外な辞め方だった。さぞかし辞めてから寂しい気持ちになり、もてあそぶ毎日を送るだろうと予想していたのだが、本人は所狭しと並べられた退職祝いの花束がどうすれば少しでも長く美しく咲いてくれるかを心配し、次の週末には父親に結婚してから初めて家の留守番を頼み、友達と「卒業旅行」に出かけてしまった。一体何処へ行ってしまったのか?父親に聞いてもなかなか教えてくれない。まあ、今まで子育てと仕事に精一杯の母だったから少し驚きつつものんびりして来たらいいなと思っていた。
そんな母が、たったの4日程で帰ってきた。後で聞けば、高校の同級生に誘ってもらい、高校生の時には行けなかった「卒業旅行」へ行ってきたらしい。60才目前の仲良し三人組でお遍路さん旅行に出かけていたという。夜遅くまで三人でおしゃべりとお菓子に夢中になる暇はなく、夜遅くまでひたすら写経をしていたと話してくれた。地元の方達の暖かな歓迎を受け、なんとか3日間を過ごす事が出来たととても楽しそうに話してくれた。高校生の頃よりか幾分か歳を重ねた三人組だっただろうけど、励ましあいながら長い階段を登ったり、三人で布団を並べて休んだ経験は、あの頃想像していた「卒業旅行」と少しも変わらない大切な想い出になった事だろう。
「最初はウルサイ位、ワイワイ話してたんやけど、日を追う毎に三人とも、無口になっていってね。年取るって辛いね~」と話してくれたが、私は高校の時からずっと友達でいられて、一緒に卒業旅行に行ける友達に巡り会えた母が、心から羨ましいと思った。
あれから25年近くがたつが、今でも三人組の友情は続いている。時々三人で話している場面に出くわすと、三人共、てんでバラバラな話をしている事もあり、それでもいつの間にか辻褄が合い始め、会話が成り立ってしまうのだから、恐るべし三人組と密かに思ってしまう。いつの日か、車椅子に乗りながら、会話を楽しむ日々が来るかも知れない。会話が成り立たなくなっても、お互いの名前を忘れてしまう日が来たとしても、仲良し三人組でいて欲しいなと去年よりまた少し背中が曲がってしまった三人組に心の中で話かけた。
ちなみに、母がなぜ、退職を1年早めたのか、母の知り合いが最近になってそっと教えてくれたのだが、同じ年に定年退職になる予定だった父よりも1年だけでも早く仕事を辞めて、父に「行ってらっしゃい」と「おかえり」を言ってあげたかったそうだ。父も1年間、母が待つ家に帰るのは嬉しかっただろうな。当たり前のようで、なかなか言えない「ただいま」と「おかえり」。そして、誰かが待ってくれている我が家に今日も無事に帰れる事を幸せだと感じる事の出来る毎日を送っていきたいと思った。

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