逃避行の先

先日、「俺たちに明日はない」を観ました。
とてもおもしろかった。けれど、寝不足の頭で観るものじゃないな、とも思います。

ああいうの、私は大好きなんですよ。なんか、分かってしまう気がして。ボニーの気持ちというか。考え方というか。…気のせいかもしれないけれど。
きっと、私の中にもいるんですよね、彼女が。

身を滅ぼすと分かっていても、何もない今よりマシだって思ってしまう。うんざりする日々より、痛みのほうがいい、みたいな。
傷つけて、突き放して、愛して。…そんな自由。
叶わないって分かっているけれど、憧れてしまう。

クライドの兄夫婦と合流してから思うようにいかなくて、口論をするふたり。
勢いに任せて「運転手と寝ている女が」「男のくせに女を喜ばせることもできない」と、お互いに傷つく言葉をぶつけて。
でも、ふたりは離れられないんですよね。共犯関係だから。ここまで共に来てしまったから。
こういう、激しい傷つけ方っていうのは、傷跡以上に、相手に対する執着を生むんです。そういうのも私は嫌いじゃないな、なんて思ったり。

ぜんぶ捨てて。誰かと共に為すこと。
過去も未来もないからこそ、今にすべてを捧げられる。だからこそ、どんな無茶もできる。そこに彼がいるから、なんだってできる。世界にはふたりだけだから。

映画も最後のほう。
愛し合って、結婚したい、なんて話をするふたり。
「もし、すべてを水に流せたらどうする?」と問うボニーに、クライドは「生活を改める」と答える。
それを聞いて、顔を背けるのですよ、ボニーが。
ふたりの愛も、自由も幸せもすべて、追われる中にあったのだと思うんです。こうしてこの世にふたりだけでいられるなら、生きていなくたっていい、とすら思っていたんじゃないかと、私には思えて。
でも、あの表情はきっと、彼と共にいられるならば生活するのも悪くはないかな、と思った顔なのかもしれない、とも思います。

…なんて言っても、もう遅いんですよね。強盗に殺人という行いが、消えるわけではないから。
それに、それが消えてしまったら、ふたりの繋がりも消えてしまうだろうから。

…だから、彼らにとっては幸せなのかもしれません、あのエンディングが。
ふたりだけの世界の中で死ねるのだから。
悲劇的な終わりかもしれないけれど。彼らの夢は汚されることなく幕を引いたと思えば、美しいとも言えるでしょう。

…ああやって死ねたらどれだけいいだろうって、思ってしまう。
そんな相手を見つけて。トリックスターと一緒に、一瞬でも世界のすべてを手に入れたような気分になって。同じ罪を負って、だから最後まで一緒に逃げるんだって。
逃避行の先で、ふたりで死ねるなんて、なんてロマンチックだろう。

…なんて考える私に、彼は、生きていようねって、言ってくれる。

…でも、そもそも、あなたと私じゃ、あのふたりごっこはできないじゃない。あなたは、私のクライドにはなれないでしょう?あなたは私を殺したりしないから。絶対に。
…それなら、私があなたのクライドになればいいのかな。あなたを共犯にして、私の罪で縛りつけたらいい?…でも、きっとそれも無理ね。私にそんな勇気なんてないもの。
そんな覚悟が決められたら、私も少しは変われるのかな。…あなたは喜ばないでしょうけど。

…逃げたって終われるわけじゃない私たちみたいなのは、どこへ向かえばいいのでしょうね。


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