モチベーション維持と2つの才能
私はモチベーションの維持がとても下手である。ではどうやって勉強しているか。結論から言うとよく聞く「習慣化」と「損失回避」を上手く使ってやるのだ。しかしこれらを行うには後述する2つの才能のうち、どちらか片方が必要になってくると考えている。
習慣化は言わずもがな、必要な努力をルーティーンにしてしまうというだけのこと(これが一般的には非常に苦痛だが)。損失回避も言わずもがな読んで字のごとくである。
さて、この世にとてもモチベーションを維持するのが上手な人々がいる。パチンコをする人間とタバコを吸う人間だ。これは皮肉では無い。そいつらは好きなことやってんだからモチベーション維持もクソもねえだろ。今回聞きてぇのはやらなきゃいけないけど気が進まないことに対してどうやってモチベーションを維持するかってことだ、という人が殆どだろう。だがよく考えて見てほしい。そもそもモチベーションとはなんだろうか。動物行動学的には何に当てはまるのだろうか。私が思うに究極的には「報酬(快楽物質)を得るまでの過程を成し遂げる理由」だと思っている。
上記を踏まえた上で「じゃあそれは理解したからその過程を成し遂げる理由はどう作るんだよ」と言われるとこれが非常に難しい。その理由について少しだけ触れていこう。
動物というのは適応度に基いて行動するようプログラムされている。1部の個体は遺伝的多様性の確保の為や障害によって異なる行動を起こす場合もあるが、大多数の個体はこの適応度という考え方で凡そ説明できる(ちなみに障害でない場合の前者も種族全体を俯瞰した遺伝的多様性だけでなく個体のみを見た適応度という考え方でも説明できる)。
具体的にはどうやってプログラムしているのか。報酬もしくは罰則を与えているのである。例えばAIの調教にも特定の行動に報酬と罰則を与え、最終的な報酬が最も高くなるように動かすことで行動を最適化させる学習方法がある。このAIのように我々の脳内には生まれた段階で既に何が罰則で何が報酬となるかはある程度決まっている。適応度に基いて報酬と罰則が割り振られており、凡そ3歳までの行動でなにが何ポイント貰えるかを理解するのだ。
ここで1つ目の才能が必要になってくる。報酬を得るまでその行動を苦もなく行える時間の長さである。
これはある程度トレーニングもできるが、非常に苦痛であるため基本的に努力できる人の殆どはこの才能を持っていると思っていい(私はこれが非常に短い)。その行動の先に報酬がある事を知っていれば人間は努力できてしまう場合が多い。しかしながら報酬がある事を脳みそが知らなければ努力するのは非常に困難であるのは自明だ。この才能があればあるほど他の人が手にしにくい希少な報酬を手にする機会が多いため、なおのこと報酬のない時間への忍耐が着くという正のスパイラルが起こる。逆に特定の行動を繰り返しても報酬が得られないのであれば、諦める速度は早くなってくる。その行動を起こせば起こすほど費やす時間は短くなり、短くなるから報酬を得る確率も減るという負のスパイラルに陥る。
2つ目の才能は報酬を擬似的に生み出すというものだ。俗に言う自己暗示である。自分の脳を騙す才能と言い換えると先の話と繋がりやすいだろうか。これを用いることで合間合間を凌ぐのである。努力できる時間が短いのであれば報酬をこまめに出してやるのだ。報酬とは一般的に他者から与えられることが多いため現実的には難しいが、自己暗示はこれを可能にする。例としていうならば「今日は8時間勉強した。昨日の自分より賢くなれた」というようなものである。自己暗示が出来ないと報酬は「テストに合格した」や「出来ないことができるようになった」などになる。これでは結果を出さねば報酬は出ない。
意外にも2つ目の才能は誰でも手に入れることが出来る。しかも簡単に。さて、少し話は逸れるが私は人に催眠術をかけることがある。ここでいう催眠術は皆が思い描く五円玉を揺らすような胡散臭いようなものではなく、自己暗示を促進させるものである。睡眠不足の解消やトラウマの克服といったメンタルケア的側面が大きいと捉えて貰えば理解しやすいだろうか。催眠術を学んだことは無いが、ある程度医学方面の勉強していくと話術が得意な事も相まって気がついた時には可能になっていた。なんとなく理屈を突き詰めて考えてみて可能ではと思い至り、試しに友人にかけてみたらかかったのである。そして自説の補強の為に色んな人間に協力して貰ってかけていくうちに気がついたことが上記でも述べた「2つ目の才能は誰でも手に入れることできる」というものである。
しかし現実には自己暗示できる人間とできない人間がいる。では何故2種類の人間がいるのか。この才能の発現には環境要因が大きく関係してくる。自己肯定感が低い人間と現実を客観視するスイッチが常にONの人間だ。
自己肯定感が低い人間というのは残念ながらAIで言うところの「報酬が少なすぎて罰則を避けるように調教されている」状態だ。この状態だと何をしても「リスクを避ける」という方に寄るのだ。つまり行動すること自体を避ける。解決するには怖くないことを設定して達成するを繰り返せばよい。特に直接報酬になることが望ましい。毎日100円貯金して毎週金曜にはそれでデザートを食べるなどで良い。
現実を常に客観視してしまう人間はディズニーに行け(ディズニー好きは除く)。これは私の経験談だが、ディズニーなどのテーマパークほどつまらない娯楽はないと思っていた。常に「あぁこのぬいぐるみおっさんが入ってんだよなぁ」とか「なんで2時間も待ってたった5分楽しむだけの為に行かなきゃいけないんだ」とか考えていた。しかし客観視するスイッチをオフにできるようになってから行ってみたら意外と楽しいのである。この経験から私は、頭から現実をすっぽかして目の前のことに夢中になるための修行の場としてはディズニーが最適だと考えている。
この才能さえ手に入ってしまえば後は楽だ。細かく区切って報酬を用意する。1週間勉強して、この項目までマスターしたから目標には着実に近づいているとするなどである。(パッと思いついた例を述べたが、何時間勉強したからテストに合格するという考えは嫌いではある)。投資などの不特定要素を多く孕み、あまつさえマイナスにすらなり得るものは結果そのものではなく期待値自体の修正ができたことなどに目を移すことを勧める。注意すべきはこの時の報酬をデザートなどにしないこと。先に自己肯定感の項目で述べたのはあくまで別の目的のトレーニングである。ここでの報酬は自己肯定感を含んでおり尚且つデザートなどの目的に関係ないものを含まないことが望ましい。
このように通常、習慣にしてしまうまでは苦痛であるが、それを可能にする才能を手に入れてしまえば習慣化はそこまで苦ではなくなる。そして時間をかけて手に入れたものであるが手入れをしなければ失われてしまうものであるという認識をすれば自ずと損失回避と習慣化によって惰性的に努力できてしまう。世のモチベーション維持に纏わる本は「作業を楽しみましょう」であったりなど苦痛要因そのものを変貌させてしまおうという試みが強い。私は階段を階段じゃないように変身させる魔法より、急な階段の横にある傾斜を緩くするためのくねくねのスロープを登る方が良いのではないかと思う。
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