クシナダヒメ様の涙
おかあきです。
今回は、2023年3月16日の出来事から
お話します。
3月。
卒業シーズン真っ只中のこと、
知り合いのお子様が
卒業式を迎えられました。
コロナが落ち着いてきたときで
保護者も参列できたそうです。
コロナ禍という特殊な環境での学生生活は
親御さんもお子さんも
きっと想像以上に不安やご苦労が
あったかと思います。
ご卒業おめでとうございます!
(時期がズレているのに、つい
言いたくなってしまいました。すみません…)
ところで、皆さんもご存知の国歌『君が代』
学校の卒業式や入学式、
スポーツの国際大会などの式典で歌われています。
国歌としては他国に比べて超短く、
「国歌」として法制定されたのが平成11年。
長い歴史のある国なのに、最近なんですね。
歌詞は「古今和歌集」出典の祝い歌とされています。
…が、祝い歌?
何のお祝いなんでしょうか…?
ネットや動画を検索してみたところ
男女の恋愛や天皇万歳など
様々な解釈が出てきました。
それはそれで問題ないのですが
男女の恋愛がお祝い?
天皇万歳もお祝い?
石頭の私にはサクッと理解できず…(汗)
私なりに歌詞を解釈してみました。
『君が代』を解釈
まずは歌詞です。
では、一文ずつ解釈していきます。
《 君が代は 》
「君」とは、性別問わず使われる呼称「きみ」
「代」とは、時代、世
ということで、→きみ(あなた)の時代は
《 千代に八千代に 》
上記の「代」を使い、
→千年や八千年(もの長い間)
《 さざれ石の巌となりて 》
小さな石が長年かけて結束した「さざれ石」が
一つの岩となるのですが
私は、小さな石を私たち一人一人に見立てた
のではないかと思い
一つの岩は「集団」や「国家」になるかと…。
→一人一人が結束して、ひとつの国となす
《 苔のむすまで 》
ここはそのまま
→苔がびっしりと生えるくらい、
長い年月をかけて
これらを繋げると、
きみ(あなた)の時代が
千年や八千年もの長い間
一人一人が結束して、ひとつの国となす
苔がびっしりと生えるくらい、長い年月をかけて
要約すると、こんな感じになりました。
「千代に八千代に」
「さざれ石の巌となりて」
「苔のむすまで」
のところは『長い年月』を比喩しており、
言葉を変えて使うことで
この先も、代々ずっと絶え間なく
栄えていくことを強調している気がしました。
この国に住む人の繁栄と団結を謳い上げることで
国の発展の喜びをギュギュッと込めた
「祝いの歌」
たった32文字に込められた意味は
この国独特の曖昧さがありますので
どのようにも捉えられると思います。
私の解釈も、ほんの一例に過ぎません。
涙の理由
この解釈に至ったとき
どこかで女性がすすり泣く声が
聞こえてきました。
このとき、我が家族はそれぞれの場所におり
私の周りには誰もいません。
ということは、彼方の世界から?
意識を彼方に向けると、岩に腰を掛けている女性が
顔を覆いながら、涙をこぼす画がみえてきました。
そして、日本の神様・神武天皇の声が
聞こえてきました。
続いて、女性の声が聞こえてきました。
クシナダヒメ様がお越しになられた理由が分からず、
クシナダヒメ様について調べました。
『古事記』によると、スサノオ様は
ヤマタノオロチの退治に行く際
クシナダヒメ様を櫛にかえて
スサノオ様の髪にかざしたといいます。
ヤマタノオロチを退治したスサノオ様は
その後、クシナダヒメ様と結婚されて
お子様を育てあげました。
このクシナダヒメ様のエピソード
(男性と女性が手を取り、困難を乗り越え
人生を歩まれた様子)が
『君が代』の解釈とリンクしたから
ではないかと推測しています。
そして、2023年6月21日に
再びクシナダヒメ様より、お言葉をいただきました。
「はい。」
「できているんですか?」
神様も悩みがあるとは…。
親近感が少しわいていました。
初めてお目にかかれました
それから3ヶ月ほど経った2023年9月25日
靖国神社を初めて参拝しましたが、
「さざれ石」がありました(↓)
※最上部の画像と同じものです
下調べせずに参拝に伺ったので
まさか、ここで答え合わせができるなんて。
解釈の路線は間違っていなかったようです。
そして、2023年11月9日に参拝した大国魂神社にも
さざれ石がありました(↓)
大人になると『君が代』を歌う機会が
減るように思います。
皆さんも、ぜひ『君が代』を
口ずさんでみてください。
その歌声は、内なる大和魂に響きわたります。
そして、日本の神様たちも
微笑まれることでしょう。
この投稿は、マガジン
《 神様からのメッセージ集 》
に入れております。
信じるか、信じないかは
皆さんの感性にお任せします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?