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インカ帝国(マチュピチュ)の旅

インカ帝国の首都だったクスコ(Cusco)のど真ん中にあるアレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港に降り立った。
そこは、高層ビルはないが、2.3階の建物や住宅がすべて茶色だった。

マチュピチュに向かう日、未明の列車に乗った。2003年6月の時点では青くてちょっと古い電車で、暖房も効いていなかったから寒かった。
列車はクスコを出ると、スイッチバックで前に行ったり後ろに行ったり、ずいぶん登った。やや平坦になっても速くない。それでも急に遅くなったと思ったら、馬が線路内に入り、先を走っている。
途中、小さな町がいくつかある。町の線路は物置場だったり、商店になっていて、列車が来てから退《ど》かす。いやはや時間がかかるわけだ。
何もないところでも、線路がぐにゃぐにゃ曲がっている。これじゃ速く走れないねと思う。
ガイドが言った「日本には、とても速い電車があるんだって?」「ここでは速く走れないんだよ!」

ゆっくりしか走れない列車は、今にも何か落ちてきそうな絶壁の下を通っている。マチュピチュ駅も近くになってきた手前の駅で、大勢の客が列車に乗ってきた。この駅までバスで来て、この先はバスが通れないので?(今でもそうなのかわからない)列車に乗り込んでいるのだそうだ。

マチュピチュ駅からは、小型バスに乗り換え、マチュピチュへ登っていく。ジグザグに少しずつ高度を上げていく。Belmond Hotel の手前が終着点。入場料を払って、期待のマチュピチュへ。

ガイドは、一生懸命説明してくれている。(仕事だからね!)最初はそれに従って見学したが、なにしろ時間がない。
我々のツアーは、撮影が目的。
ガイドに「申し訳ないけど、説明はもう結構です」「写真を撮りたいので、いいですか?」しょうがないな、という顔で説明を終えた。
個人的には、ワイナピチュに登りたかったが、なにしろ時間がない。

マチュピチュ(Santuario Histórico de Machu Picchu)

インカ文明に想いを馳せる

標高約2400mのこの地に、重要な拠点を創ったインカの人々。いろいろな説があるが、いったいどのように生活し、どこへ行ったのか?
慌ただしい旅の寸時《すんじ》では、表面しかわからないが、その内容は壮大なロマンにあふれていたのかもしれない。

古代インカ都市マチュピチュ、知られざる10の秘密(ナショナルジオグラフィック)

できれば、日数をかけて朝夕の写真や周りの誰も撮らない場所から、撮影したいと思った。しかし、1件しかない Belmond Hotel は、数年先まで予約がいっぱいで泊れない。マチュピチュ内へは入場制限がある。いろいろな制限の中、撮影は難しいと思われた。
じっくりインカを味わうのには、夏目漱石の『草枕』「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた…」的心境が必要なのかもしれない。それにはインカトレイルをトレッキングして、マチュピチュを目指すのがいいかもしれない。

グッバイ・ボーイ

バスに乗り、山を降りる。
物売りの少年がいた。あまりしつこくない。でも、こちらに向かって「バイバイ」していた。こちらも「バイバイ」。
ジグザグの道をバスは降りていく。
すると、「あれ?さっきの少年じゃない?」「なんで、ここにいるの?」バスを追いかけて走ってきたには速すぎる。
実は、下図のようにして降りていたのだ。この行為にお土産を買ってしまう人もいるという。

グッバイ・ボーイのルート

クスコに戻る手前で、ガイドが「バスに乗り換えないか?」と言ってきた。朝、随分時間がかかったところ、「別料金を払わないといけないが…」到着が遅くなるので、結局バスに乗り、クスコのホテルへ。
「イヤー、長い一日だったが、短い滞在時間だったね」と呟《つぶや》いた。

青い列車は、新しくなって「ビスタドーム」になっているらしい。(トラベルjp)

「インカトレイルを歩きたい」と想っていたが、あれから20年が過ぎてしまった。


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